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旧ソ連の北方領土占領、米国が軍事支援していた…歴史の定説を覆す発見

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 だが、同連盟の宮谷内亮一根室支部長が「驚いた。北方領土ソ連の占領にかかわっていたのならアメリカにも責任があるのでは」と話すように、初耳という元島民が多い。

 日本政府が「米軍の援助」を知らないはずはないが、冷戦下、米国の同盟国として米国に都合の悪い事実は表に出されなかったのだろう。納沙布岬にある北方館の小田嶋英男館長も「当時は連合国の一員、おかしくはない。引き揚げてきた人は国籍不明の船を見たとか、ロシアの船ではないと話していた。でもソ連軍の四島の占領にアメリカがかかわったという歴史を出さないほうがいい、ということになったのでしょう」と推測する。

あとから出た「北方領土」という言葉

 根釧漁船保険組合元専務理事の足立(あしだて)義明氏(80)は根室青年会議所で活躍していた頃、北方領土問題を研究し講演もした。「決してソ連が独断で決めて占領したのではなく、アメリカが支援していたはずということも話しました」と語る。「ソ連は釧路から留萌を結んだ線から以北をよこせと言っていた。安藤さん(北方領土返還運動の父と呼ばれた安藤石典根室町長)がソ連に対してではなくマッカーサーに占領軍の管理下に置いてほしいということを求めた経緯からも、占領時にも米軍が加担していたとみるほうが自然」とする。45年12月、安藤氏は占領軍のマッカーサー連合国最高司令官に対して、ソ連の不法占拠を訴え、国後、択捉、色丹、歯舞諸島を米国の管理下に置くことを求める直訴状を送った。足立氏は「尖閣諸島とか竹島とか言えばすぐわかるが、北方領土とか北方四島なんて表現して島の名を言わないから国民はわからない。返還運動が国民的に盛り上がらなかったひとつの原因」と指摘する。

 日本は戦後すぐにソ連に「四島を返せ」と主張したわけではない。「北方領土」という言葉も冷戦下、米国の同盟国として「ソ連敵視」の国論を煽るために後年、政府がつくり出したのだ。

「2島返還」でちょうちん行列

 元根室市総務部長の平山芳夫さん(90)は根室半島の歯舞村(現・根室市歯舞)の出身。戦前から村役場に就職し、56年の日ソ共同宣言締結時は20代。「提灯行列となり行燈を担いで納沙布まで行進した」。2島の返還だけでそんなに喜びに沸いたのだろうか。平山氏は語る。

「歯舞諸島は歯舞村の管轄。奪われていた豊富な漁業区域も村に戻ってくることが大きかった。当時、根室には国後や択捉の人はあまり戻っていなかった。住民大会も色丹と歯舞が還れば、という雰囲気。四島全部返せ、では平和条約はないと思っていました。しかし、すぐに国後や択捉出身の人の反発が強まっていったのです」

 平山氏は「もともとは『島を返せ』ではなく『島よ、還れ』だった。いつしか『返せ』という言い方になりました」と回顧する。強い言い回しに変わるのも対米追従が強まってからだ。
(文=粟野仁雄/ジャーナリスト)

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