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孫崎享「世界と日本の正体」

日本、北方領土返還要求の国際法上の根拠なし…安倍政権、「二島返還」へ方針転換

文=孫崎享/評論家、元外務省国際情報局長
日本、北方領土返還要求の国際法上の根拠なし…安倍政権、「二島返還」へ方針転換の画像1北方四島のひとつである色丹島(「Wikipedia」より/Vitold Muratov)

 安倍晋三首相は11月14日、訪問先のシンガポールでロシアのプーチン大統領と会談し、今後3年以内に日露両国が平和条約を締結することで合意した。また、来年1月にも安倍首相が訪露し、プーチン氏との会談で詰めの協議を行うことも決めた。安倍首相は会談後、「1956(昭和31)年の日ソ共同宣言を基礎として、平和条約交渉を加速させることで合意した」と述べた。

 安倍首相の述べた「日ソ共同宣言を基礎として、平和条約交渉を加速させる」との発言は従来の日本政府が取ってきた「四島一括返還」の方針と異なるものであり、日ロ関係を大きく変える可能性のあるものである。

 日ソ共同宣言における領土についての記述は次のものである。

「ソ連は、日本国の要望にこたえかつ日本国の利益を考慮して、歯舞群島及び色丹島を日本国に引き渡すことに同意する。ただし、これらの諸島は、日本国とソヴィエト社会主義共和国連邦との間の平和条約が締結された後に現実に引き渡されるものとする」

 ここでは北方領土のなかの国後・択捉と歯舞・色丹との扱いは明確に異なる。実は1956年に署名された日ソ共同宣言は実質的に平和条約である。戦争を終結する時には、当事者間で平和条約を結ぶが、一般的な平和条約の要件はほぼすべて日ソ共同宣言に入っている。

•日本とソ連との間の戦争状態は、この宣言が効力を生ずる日に終了し、両国の間に平和及び友好善隣関係が回復される。
•日本とソ連との間に外交及び領事関係が回復される。
•ソ連は、日本に対し一切の賠償請求権を放棄する。

 従って、我々はまず、日ロの間には実質的平和条約が存在していることを了解しておくべきである。
 
 ではなぜ、「日ソ共同宣言」が「日ソ平和条約」と呼ばれなかったか。唯一、領土問題に合意できなかったからである。つまり、日ロ間に残っている課題は領土問題の解決だけである。

経緯の整理

 ここで、「日ソ共同宣言」前の北方領土に関する動きを見ておきたい。

(1)ポツダム宣言
 
 1945年8月14日、日本はポツダム宣言を受諾し、戦争終結に向かうが、この宣言には次の記載がある。

「日本国ノ主権ハ本州、北海道、九州及四国並ニ吾等ノ決定スル諸小島ニ局限セラルヘシ」

 つまり、ポツダム宣言受諾によって、本州、北海道、九州、四国以外の地域を日本固有のものと主張することは放棄している。

(2)千島に関する米ソ間合意

 米国のルーズベルト大統領はヤルタ会談で、ソ連の対日戦争参戦を求め、この時、千島をソ連領とすることを提言している。ルーズベルト大統領の死亡後も、トルーマン大統領は千島をソ連領とすることに書簡で同意している。

孫崎享/評論家、元外務省国際情報局長

孫崎享/評論家、元外務省国際情報局長

東京大学法学部在学中に外務公務員上級職甲種試験(外交官採用試験)に合格。1966年外務省入省。イギリス陸軍語学学校、ロンドン大学、モスクワ大学にてロシア語を習得し、在ソビエト連邦大使館を経て、1985年在アメリカ大使館参事官(ハーバード大学国際問題研究所研究員)、1986年在イラク大使館公使、1989年在カナダ大使館公使を歴任。1991年から1993年まで総合研究開発機構へ出向。駐ウズベキスタン大使、国際情報局長、駐イラン大使を歴任。国際情報局長時代は各国情報機関と積極的に交流。2002年より防衛大学校教授。この間公共政策学科長、人文社会学群長を歴任。2009年3月退官。

Twitter:@magosaki_ukeru

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