国内最大の証券グループである野村ホールディングス(HD)は、7年8カ月ぶりのトップ交代を決めた。株式の売買手数料の引き下げ競争が激しくなり、世界的な低金利で証券取引で収益を上げられなくなっている。逆風のなか、奥田健太郎副社長がグループCEOに就く。新たな成長モデルを描けるのだろうか。交代は4月1日付である。永井浩二グループCEOは代表権のない会長になる。
野村HDのトップはスキャンダルが引き金になって引責辞任するパターンが続いたが、今回のバトンタッチは「1年以上前から指名委員会でかなり突っ込んだ議論を重ねてきた」(永井現CEO)と、順当な人事であることを強調した。
「野村證券社長の森田敏夫氏のほうがグループCEOに適任だった。森田氏のほうが有名で、金融関係者の間でも奥田氏の知名度は低い」(金融筋)
「森田氏ではなく奥田氏を選んだのは、永井氏が扱いやすいからだろう。新社長の仕事はリストラ。そのための人事と考えればわかりやすい」(野村グループ幹部)
トップ交代の舞台裏は順当とは程遠いものだった。永井氏をめぐっては2019年に入って、社内外から経営責任を問う声が上がっていた。19年3月期の連結決算で最終損益は、リーマン・ショック直後以来、10年ぶりに赤字に転落。5月には東京証券取引所の市場再編をめぐる議論の内容を社員が外部に漏らしたとして、金融庁から業務改善命令を受けた。
6月の株主総会で永井氏の取締役選任案への賛成率は61.7%(前年は96.0%)に急落していた。10月には「証券界のドン」と呼ばれた田淵節也氏の在任期間を超える長期政権となっていた。永井氏のCEO退任は半ば“引責辞任”だったのではないのか、との見方もある。
奥田氏は“ポスト永井”の本命2人のうちの1人。18年4月1日、国内中核子会社の野村證券社長の森田氏と米州地域ヘッドの奥田氏がグループ共同COOに就任した。国内と海外それぞれにCOOを置くのは初めてのことだった。証券界の見方では、「森田氏が次期CEOレースで先行していた」という。
「証券業界はIT企業とも競合」
森田氏は17年4月1日、野村證券の社長に就任した。永井氏と森田氏は共に労働組合の委員長を務めるなど、顔を見ただけで相手が何を考えているかがわかる、“ツーカー”の間柄だったとされる。ところが、森田氏についた渾名は「きかんしゃトーマス」。周囲に惑わされずに、ひたすら突き進むという意味だが、一方で「融通が利かない」との皮肉が込められていた。この点が、最終段階でマイナスの評価になったのだろうか。
18年4月の人事で森田氏と奥田氏の共同COO体制に移行した。奥田氏が森田氏に並びかけたと評された。そして、今回、奥田氏がゴール前で差し切ったことになる。奥田氏は投資銀行部門が長く、17年、企業のM&A助言業務で野村HDが6年ぶりに首位を奪還した立役者だ。
19年12月初旬、奥田氏は永井氏と一緒に記者会見し、「証券業界はIT(情報技術)企業とも競合となっており、危機感は強い」と強調した。「他社とのM&Aについては柔軟に対応していく」との発言に、内外の金融機関の首脳が注目した。米ペンシルベニア大学ウォートン校で経営学修士(MBA)を取得し、外国人相手にも臆さない。「セカンダリー(流通市場)からプライマリー(発行市場)、トレーディング(商品売買)からオリジネーション(商品組成)へと軸足を移していく」と就任記者会見で決意を表明した。
傘下の野村證券社長を誰にするのか。ライバルだった森田氏の処遇をどうするのか。人事で奥田色を出せるのかが最初の関門である。