日本のオーケストラでしか通用しない?「ベト7」「アオダニ」「ツァラ」はなんの略語?
「私は、しがない物書きです」
初めて知り合った方に職業を聞いてみると、このようなお答え。あとでよく調べたところ、ベストセラーというわけではありませんが、大概の本屋さんの片隅に必ず著書が並べられている、熱烈な固定ファンを持った小説作家でした。
数日後、友人と歩いていたら、偶然にも再びその作家と出会ったので、隣の友人に「この方は物書きです」と紹介しました。当然のことながら、作家はムッとした顔で会釈をしただけで通りすぎてしまいました。会釈しただけでも、その作家は立派な人物でしょう。
作家が自己紹介で「物書き」と言うのは、少し謙遜した言い方なのですね。こちらからそう呼んではいけないことは、大人の皆様には容易におわかりになるかと思います。
実は、オーケストラの演奏家にもそのような言葉があるのです。
たとえば「太鼓叩き」は、ティンパニも含めた打楽器奏者が自身を指して使う言葉です。
話は逸れますが、このティンパニ。上手な人が叩くと、たった一発の音で、オーケストラのアンサンブルが揃いますし、反対にタイミングが悪いと、どんなに上手なメンバーを揃えたオーケストラでも、全体の演奏が台無しになってしまうようなスペシャリスト中のスペシャリストです。
しかも、オーケストラのティンパニ奏者になるのも大変で、日本には38団体のオーケストラがあるのですが(日本オーケストラ連盟の加盟団体)、つまりオーケストラに所属することができたティンパニ奏者は日本に38名しかいないことになります。オーケストラの楽員は、だいたい35年くらい働くので、単純計算すれば一年に一度、どこかのオーケストラで空きが出るかどうかで、何年もオーディションがない時もあります。そんな狭き門をくぐり抜けてきた奏者は、もちろん卓越した人ばかりです。そんな彼らが、「自分は太鼓叩き」と言っているからといって、指揮者の僕が他人に「太鼓叩き」などと紹介したら、大変なことになるでしょう。
また、「ラッパ吹き」はトランペット奏者のことです。僕がウィーン留学時代に仲良くなった日本人のトランペット奏者とは、当時はよく一緒にオペラやコンサートを鑑賞しに行っていました。彼は、若くして日本の有名オーケストラに入ったにもかかわらず、休団までして留学を果たしていたのですが、たびたび「今日は飲まずに家でラッパの練習をする」などと言っていました。
とはいえ、仮にリハーサルで指揮者が「誠に申し訳ありませんが、そこのラッパ吹き、もう少し強めに吹いていただけませんか?」と言ったとしたら、いくら丁寧な言葉を選んでも、オーケストラ全体がざわめくでしょう。逆に「トランペット、強めにお願いします」と言っても、なんの問題もないのです。
楽器によっては、楽器名を短くすることもあります。たとえば「自分はクラです」「コンバスです」などと言います。前者は木管楽器のクラリネット、後者はオーケストラで最大の弦楽器・コントラバスです。ちなみに、これらの短縮した名前は、海外ではまったく通じません。「クラ、小さめに」「コンバス、強く」と言っても、欧米人はきょとんとするだけです。
かくいう指揮者も、同じようなニックネームがあります。指揮棒を振る仕事なので、ずばり「棒振り」です。しかし、やはり「棒振りの篠崎さん」と言われると、少しムッとしてしまうかもしれません。
日本人はニックネームが好き?
日本人はニックネームが好きな国民といえます。もちろん、欧米などでもニックネームはありますが、「キャサリン」を「キャシー」と呼んだり、「マイケル」を「マイク」と名前を短縮する程度です。しかも、キャサリンのチョイスはキャシーだけ。生まれた時に両親が名前を付けた時点で、ニックネームも自動的に決まってしまうわけです。
チョイスがあるとしたら、「エリザベス」でしょうか。これには2つ選択肢があり、「ベス」か「リズ」です。年配の方はご存じのアメリカの大女優エリザベス・テイラーは、「リズ」を選びました。ほかに「トーマス」は「トム」、「クリストファー」は「クリス」と順当に納得できるニックネームが並ぶなか、「ウィリアム」だけは、なぜか「ビル」です。
マイクロソフトの創始者、ビル・ゲイツの本名はウィリアム・ゲイツです。不思議だったのですが、調べてみると「ウィリアム」をドイツ系移民が発音した場合、「ヴィリアム」になるので、それが「ヴィル」→「ビル」となったようです。
それに引き換え、日本のニックネームは発想展開型。学生時代、友人と、本名とはまったくかけ離れたニックネームを付け合ったりした方も多いのではないでしょうか。また、名前ではなく苗字を短くして呼び合うことも日本的です。「山田さん」なら「ヤマさん」、「鈴木さん」は「スーさん」など。僕もよく「シノさん」と呼ばれます。
ところで、日本の音楽業界では人名だけでなく曲名まで短縮系のニックネームで呼ぶことがよくあります。「ベト7」「はくちょうこ」といった言葉を知らないと、日本のオーケストラでは働けません。前者はベートーヴェンの『交響曲第7番』、後者はチャイコフスキーのバレエ傑作『白鳥の湖』です。
「はくちょうこ」でも「はくちょうのみずうみ」でも大して変わらないのに、「はくちょうこ」が定着しています。ほかにも、「アオダニ」というのもあります。これはウィーンのワルツ音楽の最高傑作、ヨハン・シュトラウス『美しく青きドナウ』のことですが、なぜ「アオダニ」になったのか、業界の先輩に聞いてみても「わからないなあ。昔からそう呼んでいるからね」という答えです。そんなものなんだと覚えるしかないのです(注:英語でドナウ河のことを“ダニューブ”というので、青いダニューブ→アオダニになったともいわれています)。
実はそんな日本的ニックネームが、とても役立つこともあります。
ドイツの作曲家、リヒャルト・シュトラウスの傑作に『ツァラトゥストラはかく語りき』という、哲学者ニーチェの同名の著書を元にした作品があります。タイトルを読むのに少し舌を噛みそうになりますが、日本では「ツァラ」と簡単に呼ぶので助かります。シュトラウスの作品はほかにも『ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら』など、演奏の難易度だけでなく原題を読むにも難度が高い曲がありますが、これも「ティル」と呼んでいます。
一方、海外ではニックネームで曲名を呼ぶことがないので、本当にてこずります。
僕にとって最難関は、ドビュッシーの『牧神の午後への前奏曲』です。日本であれば「リハーサルで“ボクシン”を練習しましょう」で通じるのですが、海外では通じません。原題のフランス語は「プレリュード・ア・ラプレ-ミディ・ドゥン・フォーヌ(Prelude a l’apres-midi d’un faune)」で、思わず舌を噛みそうになります。そんな時は作曲家名の「ドビュッシー」と言ってごまかすのですが、ドビュッシーの作品がたくさん並んでいるプログラムの場合は、しっかりと曲名を言わなくてはならないのです。
しっかりと曲名を読めない指揮者なんて、オーケストラからすれば、「曲名もちゃんと読めないで、“あの棒振り”は大丈夫か?」と陰口を叩かれるに違いありません。
(文=篠崎靖男/指揮者)