クラシックの音楽家、想像とまったく異なる私生活?天才作曲家・モーツァルトの裏の顔
ハードロック・バンドのように口から火を吹いたり、レゲエ歌手のように髪の毛をドレッドヘアーにしてみたりすることはなく、クラシックは燕尾服やロングドレスに身を包み、髪も上品に整えて、楽器を演奏します。
一口に“音楽家”といえども、まったく違った印象を持たれるのではないでしょうか。
朝起きると、カーテンを開けて静かに深呼吸。そしてイングリッシュ・ティーをすすりながら、薄くジャムを塗ったパンを食べ、しゃれた格好に着替えて、オーケストラのリハーサルに向かう。白髪が似合う上品な面立ちの指揮者と共に、時には軽く微笑みながら美しい音楽を奏で、リハーサルを終えると、お気に入りの喫茶店でモカコーヒーを飲み、ひと心地つけてから自宅に帰り、若い時に留学した国で覚えたビーフシチューをつくる。これが家族の大好物で、食べ盛りの子供たちが嬉しそうに食べている姿を見ながら、お気に入りの香りの赤ワインを一杯飲んでから、ゆっくりとお風呂でリラックスして寝室に向かう――。
クラシック音楽家の日常を、このように想像している方もいるかもしれません。もちろん、そんな方もいると思いますし、かく言う僕も「あの方はそうだろうな」などと勝手に想像していたりします。しかし、正直なところ、現実は大きく異なります。
前日のコンサートから夜遅く帰宅したにもかかわらず、朝はけたたましく目覚まし時計に起こされ、子供に「早く起きなさい」などと怒鳴りながら、自分は朝食をゆっくりと食べることなどできない。戦争のような状態ののち、やっと子供を見送っても、ゆっくりする時間などなく、11時から始まるリハーサルの曲の練習に大急ぎで取り掛かり、ギリギリまで練習してから、まだ人が多く乗っている電車に飛び乗り会場へ向かう。やっとゆっくり椅子に座ることができるのは、オーケストラの自分の席。
白髪が似合い、上品で優しくみえる指揮者も、「そこ、しっかりと合わせて」「音程に気をつけて」などとビシビシ言ってきますし、時には嫌味まで言われて、周りの同僚の顔も怖くなってくる。リハーサルが終わっても喫茶店に行っている時間などなく、髪の毛を振り乱しながら自宅に直行。そこには楽器を教わるために生徒が待っていて、疲れなど見せることなくレッスンしたのち、バタバタと夕食を済ませる。そこでワインでもビールでも、一杯飲めればいいほうで、食後はすぐに「練習している時には部屋に入ってこないで」と子供たちに言いつけ、翌日のリハーサルの練習――。
少しオーバーかもしれませんが、こんな感じの方も少なくはないと思います。指揮者も似たようなものです。もしかしたら、もっとひどいかもしれません。
しかし、このようにストレスが多くかかるような仕事でも、コンサートでは観客から拍手をもらえます。つまり、人に演奏を褒めてもらうことができるのです。一般社会では、若い時には褒めてもらえても、年齢を重ねると褒められることは少なくなってきます。その点、音楽家はベテランになってもなお、人に喝采してもらえる、素敵な職業なのです。
モーツァルト、天才作曲家の裏の顔
他方、作曲家はどうでしょうか。
ニックネームは「神童」、すなわち音楽の神に選ばれた童子と称えられ、没後230年を迎える今もなお、高級感と気品にあふれた曲が世界中で愛される作曲家・モーツァルトについてお話します。
彼の肖像画や音楽を聴くと、さぞや上品で高級感あふれる生活をしていただろうと思いますが、実際はまったく違います。彼も私たちと同じ人間。むしろ享楽的で、浪費癖のある妻と毎晩のように大騒ぎ。ギャンブル狂ということもあり、死の床では財布の中はすっからかん。音楽以外はからっきしダメ人間だったようです。
そうはいっても、「私はモーツァルトの音楽が好きなので、人物なんてどうでもいいです」という、モーツァルトファンの声が聞こえてくる気がします。確かに、モーツァルトのオペラ『フィガロの結婚』などを聞いていると、天の声のような美しい音楽が散りばめられています。なかでも、第2幕の冒頭で伯爵夫人の役によって歌われる『愛の神よ』などは、まるで天国で奏でられているような美しさです。
しかし、タイトルから想像されるような愛の神に感謝している曲かと思いきや、イタリア語の歌詞を理解すると驚かれること間違いありません。
結婚した当初は妻を深く愛していた伯爵が、なんだか様子がおかしくなってきます。どうやら、若く可愛い女中に夢中なっているようです。そこで、愛の神に対して、「私の宝物である夫を返してもらえないのであれば、せめて私に死を」と、物騒なお願いをしている歌なのです。
こんなことは序の口で、同じくモーツァルトの代表的オペラのひとつ、『女はみんなこうしたもの』では、婚約者の貞節を信じて切っている仲の良い男友達2人が、変装してお互いの婚約者の女性を口説き落とす賭けをします。残念ながら、たった一曲の二重唱の間に、女性2人はあっという間に貞節を破ってしまうのです。それにもかかわらず、男性2人は簡単に婚約者を許して結婚するという滅茶苦茶なストーリーですが、音楽は美しいのです。
ほかにも、彼女がさらわれてトルコ皇帝のハーレムに入れられてしまうオペラや、一昼夜の間にどんどん女性をものにしていく絶倫男ドン・ファンのオペラなど、モーツァルトがつけた音楽はこの世のものとは思えないくらい、こよなく美しいのですが、そのストーリーは「知らなかったほうがよかった」と思うような内容ばかり。
彼の人生最後の大傑作であるオペラ『魔笛』などは、逃げ惑う王子と追いかける大蛇から始まる、ディズニー映画のようなスペクタクルです。大蛇から逃げ回ったあげく、情けないことに気絶してしまった王子を、か弱い3人の女性が、なんと大蛇を倒して助けます。そして急に脈絡もなく、日本なら妖怪といわれるに違いない風采の鳥男が出てきて、「お嫁さんが欲しいよ」と歌い、最後には情けない王子がフリーメイソンのリーダーとなって堂々と君臨するという、なんのことやらわからないストーリーです。
晩年はカジノの上客、裏を返すと賭け事のいいカモにされていたモーツァルトは、こんな何がなんだかわからない台本に対しても、即金で支払ってくれることを条件に、神の声のような素晴らしい音楽を書き続けていたのです。もちろん、僕もモーツァルトの大ファンです。
(文=篠崎靖男/指揮者)