「ロッキング・オン・ジャパン」(1994年1月号、ロッキング・オン・ジャパン)と「クイック・ジャパン」(95年vol. 3、太田出版)に掲載された、東京オリンピック(五輪)開会式の楽曲担当、小山田圭吾氏(コーネリアス)のインタビュー記事2本がインターネット上で物議を醸している。
同記事では、学校法人和光学園和光小学校、同中学校、同高校時代に在学していた当時、小山田氏が障害者とみられる同級生2人にいじめを行っていたことを告白していたのだ。問題は、いじめの“えげつなさ”と、あたかも一連の行為を“自慢しているような”小山田氏の語り口だった。15日にはTwitter上で「いじめ自慢」がトレンド入りした。
掲載から20数年の月日を経ての”まさかの事態”に、小山田氏にとってハレの日になるはずだった五輪開会式は早くもきな臭い空気が漂い始めている。
“えげつないいじめ”に対する自身の経験を訥々と
東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会は14日、小山田氏を含む開会式のメーンスタッフを発表した。それからほどなくして、Twitter上で前出2誌の小山田氏のインタビュー記事が話題になり始め、“障害者に対するいじめ自慢をしている人物を五輪開会式の楽曲担当者にふさわしいのか”というような意見が集まっていったようだ。
Twitter上や一部のまとめサイトなどは、2006年11月15日にHatenaBlogに公開された「小山田圭吾における人間の研究」というブログへのリンクが貼ってあった。同ブログでは、前出2誌のインタビュー記事の原文を引用し、小山田氏の紙面での談話を明瞭に紹介している。
当編集部でも「ロッキング・オン・ジャパン」(1994年1月号)の原本を確認したところ小山田氏は以下のように語っていた。
「うん。もう人の道に反してること。だってもうほんとに全裸にしてグルグルに紐を巻いて(略)●●【編注:編集部にて伏字】食わした上にバックドロップしたりさ」
また『クイック・ジャパン』vol. 3の当該記事『村上清のいじめ紀行』で、小山田氏は当時いじめていた同級生に関し、次のよう語っていた。
「●●【編注:編集部にて伏字】って奴がいて。こいつはかなりエポック・メーキングな男で、転向してきたんですよ、小学校二年生ぐらいの時に。それはもう、学校中に衝撃が走って(笑)。だって、転校してきて自己紹介とかするじゃないですか、もういきなり(言語障害っぽい口調で)『●●です』とか言ってさ、『うわ、すごい!』ってなるじゃないですか」
そのうえで段ボール箱に閉じ込め、空気穴で黒板消しをはたき「毒ガス攻撃だ!」などといういじめを行ったのだという。いじめは高校時代にも続けていたようで、ジャージを脱がせるなどの嫌がらせをしていたようだ。
また同誌では担当ライターが、いじめ被害者の家族にも取材を行っている。
小山田氏インタビュー時のメディア状況を解説した批評家も炎上
騒動は際限なく広がりつつある。炎上騒動と前出2誌のインタビュー記事に関して、批評家が以下のようにツイートしたことに対しても批判が殺到した。
「ぼくはまったく擁護派ではないんだけど、いじめがあったのは25年前ではなくおそらく35年くらい前で、それについて語ったのが25年前、しかも当時の出版・メディアの常識はいまとは全然違っていて雑誌の特性上大袈裟な可能性もある。と呟いても、こんどはぼくが炎上するだけなんだろうけど…」(原文ママ、以下同)
「2021年の常識に照らしそう思う人が多いのはわかりますが、1990年代の記憶がある50歳の人間としては、当時といまの常識があまりに違うことを知っているので安易に糾弾には乗れないと思うわけです。糾弾したいひとは糾弾すればよいと思います。それもまた自由でしょう」
ぼくはまったく擁護派ではないんだけど、いじめがあったのは25年前ではなくおそらく35年くらい前で、それについて語ったのが25年前、しかも当時の出版・メディアの常識はいまとは全然違っていて雑誌の特性上大袈裟な可能性もある。
— 東浩紀 Hiroki Azuma (@hazuma) July 15, 2021
と呟いても、こんどはぼくが炎上するだけなんだろうけど・・・ https://t.co/wXgwdomN6M
さらに同氏が2012年、以下のように前出のブログや小山田氏への批判を引用したツイートが掘り起こされるなど事態は混沌としている。
90年代はこんなことが活字にできたのだと、そちらに戦慄する。 RT @kdxn: 小山田圭吾のいじめ話にはこんな後日談があったのか…。http://t.co/7tggzuw7 ほんと最低のやつだなあ。クズでもいい音楽はつくれるので、ここは音楽性云々とは切り離して単に最低のクズ野郎
— 東浩紀 Hiroki Azuma (@hazuma) August 7, 2012
五輪憲章は「いかなる差別」も固く禁じている
いまやオリンピックとパラリンピックは不可分の存在だ。引き合いに出すまでもないが、オリンピック(五輪)憲章第1章に記載されている「オリンピズムの原則」では次のように五輪に参画する人々のあり方を規定している。
「オリンピック憲章の定める権利および自由は人種、肌の色、性別、性的指向、言語、宗教、政治的またはその他の意見、国あるいは社会的な出身、財産、出自やその他の身分などの理由による、いかなる種類の差別も受けることなく、確実に享受されなければならない」
「オリンピック ・ ムーブメントの一員となるには、オリンピック憲章の遵守および IOC による承認が必要である」
加えて東京五輪の基本コンセプトには「多様性と調和」も掲げられている。さらに組織委は14日、オリパラの開閉会式の共通コンセプトを「前を向いて生きるエネルギー」という意味を込めた「Moving Forward」と発表したばかりだ。小山田氏が自身の差別的な行動を反省しているのか、今どう考えているのかを語ることなくして、“五輪憲章を尊守したオリンピアンだ”と名乗るのは難しい情勢だろう。
関東地方の障害者スポーツ協会の幹部は憤る。
「人間誰しも、完璧で清廉潔白な人生を送っているわけではありません。若いころには過ちもあるでしょう。いじめた経験がある人間が、五輪の開会式に携わるのが問題だということではありません。
社会的に影響力が高いミュージシャンが、不特定多数が目にする雑誌に、ご自身が正しいと思ってそのような主張をしていたということ。そして、それ以降、このインタビューに関する新たな発信をされたのでしょうか。それがないのが大きな問題なのだと思います。今も同じ考えであるのならオリンピアンにはそぐわないのではないでしょうか。
『昔のことだから』『そういう時代だったから』で済むことと、済まないことはあります。少なくとも今回の問題は、公の立場の人の、公の場での発言をめぐる騒動です。ネット上でもインタビュー記事を読みましたが、いじめた相手に対して反省の気持ちはもちろん、『悪いことをした』という思いもないように見えました。今は、そこから成長されたのでしょうか。
パラリンピアンは自身の障害も含めて、人間関係や社会など多くのハードルや差別を超えて、これから競技に臨みます。オリンピアンもまた同じく、ダメな自分や弱い自分を乗り越えて、出場します。少なくとも、“自分を振り返ることのできない人物”にオリパラの舞台に立つ資格はないのではありませんか。小山田さんがインタビューに応じた時から成長されたのかを知りたいと思います」
同様の意見は障害者スポーツ団体の関係者から複数聞かれた。当編集部は日本パラリンピック委員会に「今回の騒動を関知しているのか」「障害者を含めたあらゆる差別に関してどのような見解を持っているのか」を聞いたところ、以下のような回答があった。
「小山田氏の過去のインタビュー記事につきましては、報道を通じて初めて知りまして、それ以上のことは把握しておりません。公益財団法人日本障がい者スポーツ協会日本パラリンピック委員会(JPC)は『障がいの有無、性別、年齢、国籍や、価値観、性格の違いなど多様性を尊重し、誰もが個性を発揮して活躍できる共生社会の実現』を目指しております」
また「クイック・ジャパン」の太田出版にも、今回の騒動に関する受け止めを聞いている。それぞれ回答があれば追記する。なお、ロッキング・オン・ジャパン編集部は現在テレワーク中とのことで、担当者につながらなかった。
(文・構成=編集部)