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篠崎靖男「世界を渡り歩いた指揮者の目」

オーケストラ、協奏曲の指揮が大変である意外な理由…指揮者の知られざる苦悩

文=篠崎靖男/指揮者
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「Getty Images」より

 南アフリカに7週間滞在して11回、コンサートをしたときのことです。この11回は、同じプログラムではありません。毎週違うプログラムを、月曜日からリハーサルして水曜日や木曜日のコンサートで指揮していました。

 オーケストラのプログラムには、定番があります。まずはコンサートの冒頭で10分程度の小品を演奏します。これは、外の世界からコンサートホールに駆けつけてきた観客に、コンサートの雰囲気になじんでもらう効果もあるので、聴きやすい曲が多いです。そして座席の座り心地にも慣れてきた頃、観客が楽しみにしているソリストが登場して、協奏曲の演奏となります。運が良ければ、アンコールまで弾いてくれることもあります。

 その後の休憩中には、観客は化粧室に行ったり、ワインを片手に「あのソリスト、素晴らしかったね」「コンサートの後、食事はどう?」などと語り合い、ロビーは楽しそうにガヤガヤしています。そして20分程度の休憩が終われば、観客はぞろぞろと自分の席に戻って、メインの交響曲や大規模な曲が演奏されるという流れです。

 つまり、一般的に1回のコンサートで3曲演奏することになるので、指揮者は3冊の楽譜が必要となります。指揮者が使う楽譜のことを“総譜”と呼びますが、その名の通り、すべての楽器の音符が1冊に収められているので、重く、分厚く、電話帳のような総譜も珍しくありません。

 この時の南アフリカの仕事のように7つもプログラムがあると20冊以上の総譜を持参しなくてはならず、スーツケース1つでは収まり切りません。そして、高額な超過料金を覚悟しながら、恐る恐る空港でチェックインすることとなるのです。

 しかしこのときは滞在日数が長く、まだ子供も学校に行く年齢でもなかったので、当時在住していた英ロンドンの自宅から家族を連れて南アフリカに行くことにしました。家族の分のスーツケースを預けることができるので超過料金は免れることができましたが、妻に小さな子供の面倒を見てもらい、僕はトランク3つをカートに山積みしながら移動することになりました。

 そんな7週間の折り返し地点のことです。これまで病気ひとつしなかった子供が、ホテルの部屋で急に高熱を出してしまい、翌朝に医者を呼ぶ騒ぎになったのです。幸い大したことはなかったのですが、僕も妻も夜は心配でまったく眠れず、寝不足のままコンサートを指揮することになってしまいました。しかも、コンサートの前半は異なるソリストによる協奏曲2曲という珍しいものでした。

 実は、指揮者の見せ所となるメインの交響曲は、音楽を存分に表現するだけでよく、言い方を変えると自分のやりたいようにできるのですが、協奏曲こそ大変なのです。特に、個性的な演奏をするソリストであれば、観客にとっては面白いと思いますが、オーケストラの伴奏と合わすために指揮者はかなり神経を使います。

 しかも、最初の協奏曲のピアニストがあまり上手ではなく、かなり手こずることとなっただけでなく、2曲目の協奏曲は4本のホルンがソリストという、あまり演奏する機会がない曲でした。それもなんとか無事に終わって休憩となり、くたくたになって楽屋に戻ってソファに座りました。前夜の寝不足もあったのか、急に意識が遠のいていったことは覚えています。

 そして次の瞬間、「マエストロ、もうオーケストラは舞台で準備できています」と叩き起こされたのです。なんと、コンサートの休憩時間に意識が飛び、ソファで寝てしまっていたのです。

 そんなことなどまったく知らないオーケストラと観客は、今か今かと僕がステージに再登場するのを待っていました。後半のベートーヴェンはとても上手くいきましたが、やはり健康管理は大事なのだと、猛省しました。

指揮者にとって協奏曲が大変な理由

 さて、前述したように指揮者にとって協奏曲は大変なのですが、それだけではなく毎回、リハーサルから本番まで、超一流の演奏家が集まっているオーケストラから厳しい試験を受けているような状況でもあるので、とても緊張します。

 指揮者にとって協奏曲が大変であるもっとも大きな理由は、オーケストラの伴奏がシンプルで控えめなことが多いという点にあります。それは、主役のヴァイオリンやピアノのソリストが弾いている場所でオーケストラが活躍してしまうと、ソリストが目立たなくなってしまうからです。時には、しばらく演奏をせずに、たったひとつの音を「ジャン!」と弾くようなこともあります。そのため、指揮者さえ正確に指揮をしていれば、練習は1回で十分という協奏曲が少なくありません。

 そんな協奏曲で代表的なのは、ピアノという楽器を最高峰の領域まで上げた作曲家、ショパンの2曲の協奏曲です。どちらもピアノが大活躍する傑作中の傑作ですが、オーケストラは、ただ音を長く伸ばしているだけだったり、単純な音符を延々と弾いているだけなのです。弾くのは簡単ですが、演奏自体が面白いわけではありません。

 反対に、ピアノはオーケストラの伴奏が単純なだけに、あまり気にすることなく自由に、言い方を変えると好き放題に演奏できます。そのようにソリストが自由に弾いている音符を必死に目で追いかけて、指揮者は正確にオーケストラに合図を送らなくてはなりません。

 しかも、ショパンの協奏曲は大傑作なので、オーケストラは何度も演奏経験があります。指揮者が1回でも失敗しようものならば、「なんだよ、あの指揮者。ちゃんとやってくれよ」と見下されてしまいます。そして、それが指揮者に対する信頼関係も損ない、メインの交響曲にも大きく影響していきます。ソリストが好き勝手に弾いているのが理由であっても、「あの指揮者はダメだね」と、評判はがた落ちとなります。

 特に若い指揮者だと、多くの協奏曲は初めて指揮をすることになります。つまり、オーケストラのほうが、曲をはるかによく知っているわけです。

 もっと言えば、有名なヴァイオリン協奏曲ならば、オーケストラのすべてのヴァイオリン奏者は学生時代に必ず演奏しているでしょう。しかも、ヴァイオリンのみならずヴィオラ奏者も、最初はヴァイオリンを始めて途中で転向した方がほとんどなので、やはり弾いたことがあったりします。そのため、オーケストラの楽員の半数ほどがソリストの楽譜を熟知しているわけです。そんな相手に指揮棒を振るのは、とても恐ろしいことなのです。
(文=篠崎靖男/指揮者)

篠﨑靖男/指揮者、桐朋学園大学音楽学部非常勤講師

篠﨑靖男/指揮者、桐朋学園大学音楽学部非常勤講師

 桐朋学園大学卒業。1993年ペドロッティ国際指揮者コンクール最高位。ウィーン国立音楽大学で研鑽を積み、2000年シベリウス国際指揮者コンクールで第2位を受賞し、ヘルシンキ・フィルを指揮してヨーロッパにデビュー。 2001年より2004年までロサンゼルス・フィルの副指揮者を務めた後ロンドンに本拠を移し、ロンドン・フィル、BBCフィル、フランクフルト放送響、ボーンマス響、フィンランド放送響、スウェーデン放送響、ドイツ・マグデブルク・フィル、南アフリカ共和国のKZNフィル、ヨハネスブルグ・フィル、ケープタウン・フィルなど、日本国内はもとより各国の主要オーケストラを指揮。2007年から2014年7月に勇退するまで7年半、フィンランド・キュミ・シンフォニエッタの芸術監督・首席指揮者としてオーケストラの目覚しい発展を支え、2014年9月から2018年3月まで静岡響のミュージック・アドバイザーと常任指揮者を務めるなど、国内外で活躍を続けている。現在、桐朋学園大学音楽学部非常勤講師(指揮専攻)として後進の指導に当たっている。エガミ・アートオフィス所属

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