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ジェネリック医薬品の信用失墜招いた日医工、社長居座りで経営破綻

文=Business Journal編集部
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日医工のHPより

 ジェネリック医薬品(後発薬)最大手の日医工は5月13日、私的整理の一種、「事業再生ADR」を申請し、受理されたと発表した。主力工場での品質不正問題で2021年3月、富山県から業務停止命令を受け、業績が悪化していた。

 22年3月期の連結最終損益は1048億円の赤字だったと5月13日に情報開示した。赤字幅は前期(21年3月期)の41億円の赤字から急拡大した。日本政策投資銀行やメガバンクでつくるファンドから出資を受けることで基本合意した。ファンドは最大200億円をメドに出資する。事業は継続するというが、前途は多難である。

田村社長のワンマン経営が破綻の元凶

 21年3月3日、製造や品質管理に問題があるとして、主力の富山第一工場(富山県滑川市)での32日間の医薬品製造の停止と、24日間の医薬品製造販売業としての業務停止命令を受けた。3月5日からである。日医工は20年4月以降、製品の自主回収が相次ぎ、これまでに回収品は75品目に上る。富山県が20年2月に行った富山第一工場への事前通告なしでの抜き打ち査察が、一連の回収のきっかけになった。この査察によって出荷試験によって不適合とされた製品を、不適切な手法で再試験することが10年ほど前から行われていたことが判明。別のサンプルを使ったり、錠剤を砕いたあと、再び加工したりして適合させていた。

 田村友一社長は3月3日、オンラインの記者会見で「業容を拡大するなか、現場に無理をさせすぎた」と語った。責任の所在を明確にするとして、田村社長は3月から3カ月、月額報酬の100%、他の役員3人も減俸とした。責任の所在が不明確だとして、当時から中途半端な責任の取り方だと批判されていた。

 ジェネリック医薬品メーカーでつくる日本ジェネリック製薬協会は、3月9日付で日医工を5年間の正会員の資格停止処分にした。除名処分の次に重い処分である。2月には同じ後発薬メーカーの小林化工(福井県あわら市)が、爪(つめ)水虫などの飲み薬に睡眠導入剤の成分が混入した問題で福井県から116日間の業務停止命令を受けたばかりだ。後発薬の信頼を揺るがす事態へと発展した。

行き詰った「売り上げ至上主義」

 日医工の創業は1965年にさかのぼる。1953年、富山大学薬学部を卒業した田村四郎氏が日本医薬品工業を設立し、ジェネリック医薬品の製造・販売を始めた。新薬の特許が切れた薬と同じ成分ものを後発医薬品として売り出す。新薬メーカーのように多額の研究開発投資を必要としないため価格を安くできる。価格は新薬に比べて3割から7割安い。

 2000年、創業者の長男、田村友一氏が社長の椅子を引き継いだ。学習院大学文学部心理学科卒。住友商事を経て、米シアトル・パシフィック大学に2年間留学。国内外で武者修行をした後、89年、日本医薬品工業に入社した。2005年、社名を日医工に変更。1980年、名証、大証2部に上場していたが、06年、名証・大証1部に昇格。10年に悲願としていた東証1部上場を果たした。現在、プライム市場に上場している。

 肥大を続ける医療費を抑えるため、政府はジェネリック医薬品の使用を促進してきた。厚労省によれば、05年に32%だったジェネリックの使用割合は20年9月には78%まで上昇した。こうした追い風を受け、日医工の業容は拡大した。

 田村社長は「売り上げ至上主義者」(日医工の関係者)とみられていた。M&A(合併・買収)を繰り返し、急成長を遂げる。04年、マルコ製薬の事業を引き継いだ(現・愛知工場)のを手始めに、08年、テイコクメディックスを子会社にした(現・埼玉工場)。14年、アステラス製薬子会社の工場を取得(現・静岡工場)。16年には米国市場を開拓するため、ジェネリック注射剤製造の米セージェント・ファーマシューティカルズを手に入れた。続く18年、エーザイの子会社のエルメッドエーザイを約170億円で買収。まず株式の20%を握り、19年4月、完全子会社にした。エルメッドエーザイの売上高は280億円。買収により日医工の国内シェアは15.8%となる。業界トップの沢井製薬をかわして1位の座を固めるのが狙いだった。

「ジェネリック医薬品は規模で戦う時代に入った」。日医工の田村社長は、エルメッドエーザイの買収を発表する記者会見でこう強調した。薬価引き下げ圧力が強まり、競争環境が厳しさを増すなか、規模を拡大。「将来は世界トップ10入りを目指す」と胸を張った。21年2月、武田薬品工業が49%出資する武田テバファーマから後発薬事業を買収し、高山工場を譲り受けた。M&A攻勢で売上高は急増。田村氏が社長になった当時の売上高は100億円だったが、20年3月期には1900億円と19倍になった。「次の20年間で年商5000億円にする」と豪語していた。

ジェネリック医薬品業界の再編は待ったなし

 20年3月期に3年ぶりに首位が交代した。日医工の連結売上収益(国際会計基準)は前期比14%増の1900億円となり沢井製薬の売上収益(同)1825億円を抜いて首位に躍り出た。トップ躍進の原動力となったのが19年4月に連結子会社に組み入れたエルメッドエーザイだ。統合したことで国内後発薬売上高は前期比2割伸びた。しかし、利益では大手3社のなかで一人負けの状態だった。コア営業利益(営業利益から一時的な要因を除いたビジネスベースの利益を指す)は40%減の80億円。米子会社セージェントの収益が見込み通り上がらなかったことに伴う減損損失や、国内で行った大規模な自主回収の費用を引当金として計上したことが響いた。

 アナリストは21年3月期は再び首位が逆転すると予想した。日医工の売上収益は横ばいの1900億円、 コア営業利益は前期比63%減の30億円の見込み。対する沢井製薬の売上収益は10%増の2002億円、コア営業利益は1%増の348億円を予定していた。沢井は米国で前期に獲得したジェネリックブランド品の販売が寄与するという読みだった。

 確定数字は次の通りだった。日医工の売り上げが1882億円、最終損益は41億7900万円の赤字)。一方、サワイグループホールディングスは売上高1872億円、最終利益は123億円だったから売り上げトップは日医工のままだった。東和薬品の21年3月期の売上高(日本会計基準)は1549億円、営業利益は199億円だった。最終利益は139億円だった。

 日医工はM&Aで自社にない医薬品を手に入れた結果、製品のラインアップは約1220品目にまで膨らんだが、これが足かせとなった。700品目後半の沢井製薬や東和薬品を6割程度上回る。他社が撤退した低採算の医薬品を多く製造していることから、規模の大きさが利益に結びつかないと指摘されていた。M&Aでひたすら規模を追い求めてきた拡大路線が、大規模な自主回収を繰り返し、業務停止命令を受ける原因となった。

 日医工が業務停止処分を受けたことで沢井製薬(21年4月から持ち株会社のサワイグループホールディングス)の一人勝ちになる公算が大きいとアナリストは見ていた。日医工は業務停止命令を受け、業績は一段と悪化した。後発薬そのものの信用にかかわる問題を起こした田村社長の引責辞任は避けられないだろうとされていたが、結局、ワンマンの田村社長はその椅子を手放さなかった。日医工は経営責任を明確にせず、中途半端なまま営業を続け、結局、経営破綻に追い込まれた。日医工の破綻でジェネリック医薬品業界の再編は待ったなしとなった。

(文=Business Journal編集部)

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