最近、ルネサスエレクトロニクスはアナログ半導体関連の事業運営体制を一段と強化している。3月22日に発表されたオーストリアの新興企業、パントロニクスの買収はそれを象徴する取り組みの一つだ。世界経済のデジタル化は加速している。それに伴い、自然現象をはじめ、わたしたちが見たり耳にしたりする情報をデータに変換するニーズは増える。そのために、アナログ半導体の需要が急速に高まっている。ルネサスは、そうした環境の変化を収益につなげようとしている。
現在、世界の半導体産業では車載、人工知能(AI)などへの対応力の差が主要半導体メーカーの業績にかなりの影響を与えている。ITデバイス向けのメモリ事業に傾斜した韓国サムスン電子などの業績は悪化した。一方、車載、産業用のチップ需要の増加を背景に、ルネサスの業況は相対的に良い。ただ、今後の事業環境は楽観できない。中国への半導体、製造装置などの国際的な貿易管理体制は一段と厳格化され始めた。インフレ圧力の高止まりなど、世界経済の先行き不透明感も高まっている。そのなか、ルネサスは既存事業のコスト管理を強化しつつ、アナログ半導体関連事業の体制をさらに強化するだろう。
現在のルネサスの事業運営状況
現在、ルネサスの業績は緩やかに拡大している。2022年12月期通期の売上収益は前年同期比51.1%増の1兆5,027億円だった。営業利益率は37.2%と、前年の29.8%から上昇した。分野別に売上収益の推移を確認すると、ルネサスが強みを発揮してきた車載用の半導体に加えて、産業・インフラ・IoT向け事業の収益が増えた。要因の一つとして、アナログ半導体の供給力の強化は大きい。
アナログ半導体とは、光や音などの情報を処理したり、コントロールしたりするための半導体を指す。分類方法によっては、電圧の管理などを行うパワー半導体をアナログ半導体に含めることもある。半導体といわれると、パソコンなどの演算装置に用いられる「ロジック」、データの記憶に使われる「メモリ」が思い浮かびやすい。それに加えて、アナログ半導体は、わたしたちの生活や自然環境の変化などに関する情報を0と1のデジタル信号に変えるために欠かせない。その上で、ビッグデータを演算装置で分析したり記憶(保存)したりするためにロジックやメモリ半導体の製造技術の向上が加速している。
もともと、ルネサスは三菱電機、日立製作所、およびNECの半導体事業を糾合して設立された。2010年に現在の事業運営体制が整備された。その後、組織の統合に時間がかかった。東日本大震災の発生による製造ラインの損壊もあり、一時、収益力と財務体力は低下した。その後、国内の自動車メーカーの業績拡大に支えられ、業績は回復した。特に自動車の走行、操舵などをつかさどるマイコン市場で、ルネサスは世界トップクラスのシェアを手に入れた。
加えて、ルネサスは家庭、生産現場などの産業分野、社会インフラ、安全保障などで需要増加が期待されるアナログ半導体の製造能力を強化した。具体的に、2016年に米インターシル、2018年には同インテグレーテッド・デバイス・テクノロジーを買収した。2021年には、英ダイアログ・セミコンダクター、イスラエルのセレノコミュニケーションズも買収した。いずれもアナログ半導体メーカーだ。
近距離無線通信技術の強化
買収によるアナログ生産体制強化などにより、2021年、ルネサスは世界第10位のアナログ半導体メーカーに成長した(米ICインサイツによる)。その上で、ルネサスはファブレス企業としてチップ開発に集中してきたパントロニクスを買収する。2014年にパントロニクスはルネサスのライバル企業であるインフィニオンなどでチップの設計、開発などに従事したエンジニアが中心となって設立された。特に、近距離無線通信(NFC、Near-Field Communication)技術を用いたソフトウェアの開発に強みをもつ。
2018年からルネサスはパントロニクスとの協業体制を強化した。具体的に、パントロニクスはルネサスの生産設備を活用することで新しいNFC関連ソフトウェアの実装を加速させることができる。それはルネサスにとって研究開発面でのシナジー効果を高めることにつながる。今回の買収によって、ルネサスとパントロニクスは、より能動的に、モバイル決済、ワイヤレス給電、物理的な位置を監視するアセット・トラッキングなどに使われるチップ製造技術を強化することができるだろう。
パントロニクス買収以前にルネサスが買収してきた企業も、通信分野で用いられるアナログ半導体を製造していた。例えば、イスラエルのセレノコミュニケーションズはWi-Fi関連のチップ開発を加速させて成長してきた。また、米インターシルは世界経済のなかでも成長期待が高いアジア太平洋地域での事業運営体制を強化した。その上で、パントロニクスの買収によってルネサスは、NFCなど無線通信分野のソフト開発力と製造ラインを結合する。
このように考えるとルネサスは海外企業の買収によって自社の事業領域を拡大し、販売網も強化している。それは、ルネサスが中長期的な世界経済の環境変化に対応し、高い成長を実現するために欠かせない。具体的に、通信の分野では6G通信などより高速、大容量な通信技術の開発が加速している。それに伴って、民生、産業用の分野で、より多くのチップが機器やインフラなどに搭載されることになるだろう。そうした変化を念頭に、ルネサスは近距離無線通信などの分野でアナログ半導体の製造体制強化を急いでいる。
チップ創出のスピードアップ
ルネサスに求められることは、長期的な世界経済の変化を念頭に置き、弛むことなく製造能力を強化することだ。特に、世界の自動車産業は急速に変化している。ネットとの接続性、自動運転、電動化、シェアリング=CASEに関する自動車メーカーなどの取り組みは加速している。加えて、ゼロエミッションに関する考えも、部分的に変化しはじめた。これまで、欧州を中心にEVシフトは加速した。
しかし、3月、EUは方針を修正した。温暖化ガス排出をゼロとみなす合成燃料の利用に限り、エンジン車の販売を2035年以降も認める。EV重視の方針に大きな変わりはないとみられるが、追加の修正も排除できない。自動車産業の成長によって経済を運営してきたドイツ経済界が、より強くエンジン車の利用を求める可能性は軽視できない。そう考えるとEUの方針の一部修正は、日本の自動車メーカーにとって大きな意味を持つ。新興国では、インフラ整備の遅れなどからエンジン車の利用ニーズは依然として高い。中長期的に、自動車に用いられるマイコンやアナログ半導体の点数は増え、環境性能などの向上が目指されるはずだ。
ルネサスは、必要とされるチップの供給体制を確立しなければならない。そのために国内外の半導体関連企業との提携、的を絞った海外での買収戦略実行の重要性は増す。ルネサスはそうした取り組みを進めるための力を徐々に高めている。3月30日、大手信用格付け業者のS&Pはルネサスを「BBB-」から「BBB」に引き上げた。格上げの主たる理由は、事業ポートフォリオの強化とコスト削減によって収益力と収益性が改善し、今後も高水準で推移すると考えられることだ。ルネサスは、既存事業が生み出す資金をよりスピーディーかつ大規模に再配分し、車載用やアナログ半導体の製造体制を強化しなければならない。
一方、米欧の一部金融機関の破たんなどによって、世界経済の先行き不透明感は高まり始めた。事業環境の厳しさが高まるなか、ルネサス経営陣はあきらめることなく、コストカットを強化し、買収した企業と自社の統合を加速して収益性向上を目指さなければならない局面を迎えている。
(文=真壁昭夫/多摩大学特別招聘教授)