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シャープ、裏目に出た「蓄積の戦略」と「まじめな企業文化」 銀行団は救世主となり得るか

文=長田貴仁/岡山商科大学経営学部教授(経営学部長)、神戸大学経済経営研究所リサーチフェロー
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 町田氏が社長に就任して2カ月後の1998年8月、町田氏自らが「シャープは2005年までに、国内で販売するカラーテレビをすべてブラウン管から液晶に置き換える」と宣言したのだった。この発言をした翌日、「シャープ、ブラウン管テレビを全廃」といった見出しが全国紙に躍った。販売店だけでなく、社員にとっても晴天の霹靂と受け取れる報道だった。町田氏も「2005年に」とマニフェストを発したからには、有言実行しなくてはならなくなったが、そこには確かな勝算があった。既存事業を捨て、新規事業にリプレイスすべき条件を満たしていたからである。結果的に、テレビがブラウン管から液晶やプラズマなどのフラット・ディスプレイに移っていった中で、液晶テレビ(国内市場)でダントツ1位に躍り出た。

 町田氏は、大画面テレビ用液晶パネルを増産するため、亀山第1工場(三重県亀山市)に加えて、06年10月に亀山第2工場も稼働し、生産の国内回帰を実現した。その背景には海外事業部長時代の苦い経験があった。プラザ合意(85年)以降、急激な円高に直面し、日本メーカーは生産拠点を相次いで東南アジアへ移した。その結果、努力しなくても低コストで生産できるようになり、町田氏は「その後10年間、(シャープの)生産技術は進化しなかった」と話していた。

 町田氏は佐伯旭氏(2代目社長)が種をまき、辻晴雄氏(3代目社長)が液晶を部品としてだけでなく自社製品に活用する「液晶スパイラル」という戦略を推進し、液晶テレビを誕生させた。それを町田氏は引き継ぎ、液晶テレビ事業を開花させ、売り上げを急拡大した。ここまでは、長期政権のもと、シャープの蓄積が奏功したといえよう。

「蓄積」というシャープの遺伝子

 そして、町田氏を後継した片山幹雄(5代目)社長は液晶のさらなる発展を期待したが、今から思えば、絶好調だった町田社長時代に新事業の種をまき、育てるべきであった。それが片山社長時代に開花し新しい食い扶持になっていれば、リーマンショックのような想定外の外的要因や、サムスンをはじめとする韓国・台湾メーカーの液晶分野における猛迫によるダメージを軽減できたはずである。
 
 町田氏も新しい種をまいてはいたが、3兆円企業の大所帯を食わせていくには、力不足の事業ばかりであった。「液晶テレビの大成功」という果実を手にし、同事業はまだまだいける、いや、さらに拡大していかないといけない、と判断したのだろう。そして、片山氏は、町田氏の路線を継承し、さらに発展拡大しようとした。「蓄積」というシャープの遺伝子からして順当な戦略的意思決定であると考えられた。

 予見力の重要性を強調していた町田氏が、なぜ新規事業育成という点でそれを十分発揮できなかったのだろうか。皮肉な論理に聞こえるかもしれないが、蓄積を重んじ、先輩(創業者や前社長)を尊重する企業文化ゆえ、液晶に肩入れしすぎ、その結果「液晶一本足打法」と揶揄されるようになったのだろう。

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