ここまで論外なトンデモ本は、さすがにちょっとマズイんじゃないですかね?
『東京が壊滅する日――フクシマと日本の運命』(広瀬隆/ダイヤモンド社)
山本一郎です。元気ですか?
もう足掛け5年以上ご一緒させていただいている月刊誌「MONOQLO」(晋遊舎)に、1ページの書評を連載させていただいているわけなのですが、先日8月売り号用に書いた記事がボツりまして。
理由は、「先方の版元や著者、読者に影響が大きい内容なのに対し、内容をしっかりと確認させていただきたいのですが、時間が入稿ギリギリの中、編集部として裏とり、推敲等をしっかりと行う時間が持てず、編集長のほうから、今回は見送りという指示を受け」たそうです。いやー、ダイヤモンド社のことですから、両論併記で「バーカ」「おまえこそバーカ」という内容でも盛り上がってきちんと売れて議論として成立していれば問題ないんじゃないかと思いますけどね。
そんなわけで、以下本編。良ければ月刊「MONOQLO」も買ってね(はーと)。
ヤバイ、ヤバいよこれはヤバイ。全体的にガセネタ含有で、こんなインチキ本が出ていいんだろうかと思うぐらいに正直ヤバいよ、これはヤバイ。もしも私が福島県の関係者であるなら早々に風評被害で回収を求める署名運動でもやろうかというぐらいに、超クソな本ですわ、これは。
というわけで、広瀬さんの『東京が壊滅する日』ですが、よくこんなインチキを書き綴れるなあと感心するほどひどい内容なんですけれども、フォローできる点があるとするならば広瀬さんの考え方、姿勢でしょうか。
確かに東京電力福島第一原発の問題についていうならば、政府や東電の情報開示のあり方はとても擁護できるものではありませんので、重大事故であり国民の安全や資産にかかわる部分に欺瞞や隠蔽があったとされるのであれば襟を正して再発のないようにするべきだ、という意見はまったく首肯するものであります。
事実関係の確認できないものだらけ
ところが、現象面において筆致が進むにつれ、事実関係の確認できないもの、すでに問題が解決され放射線量が下がっているもの、そもそもまったく放射線量の上昇がなく影響が視認できないものが、さも現在進行形で問題であるかのように語られておるわけです。
「米ネバダ核実験や、チェルノブイリでも『事故後5年』から癌患者が急増」という煽り文句からして、そもそも福島の事故とはまったく無関係で規模も深刻度も異なる問題を横に並べて、5年後から福島周辺200kmでも癌患者が激増する前提で警告していて、さすがにちょっと問題じゃないかと思うんですよね。
線量上がってないのに、なぜ癌患者が増えるんですかね。
また、5年という根拠もないですね。去年も福島県での出生については遺伝子異常のある子供が増えたという事実はどこにもありません。
福島発の「放射性ガス」や「人口の多いカリフォルニア州やラスベガスには降灰」させずにアメリカでは核実験を行っていた等の、ほぼ完全なトンデモが事実であるという前提で話が進んでいき、要するに放射性物質が大量にばら撒かれたことが政府や東電によって隠蔽されており、今後国民の健康被害として影響が高まると結論付けております。なんだろう、放射性ガスって。
当然、事故のあった福島第一原発周辺の浜通りは影響が大きく、いまなお事故の傷跡が深い地域のあることは事実でしょう。しかしながら、いまやこの民主主義の世の中で放射線量の高さを計測するガイガーカウンターは多くの国民によって保有・管理され計測されているのが事実であり、そこまで国民は馬鹿ではなく情報を与えられなければ知らないような人々ばかりではないことは自明であります。
要するに、広瀬さんの作家人生をかけて著した警告の書であるらしい本作は、多少は理系知識のある人間からすれば底の浅いプールであり、そこで「危ないよ、おぼれるよ」と言われても「泥酔でもしてないとおぼれようもないよ」という話です。ある程度、知っていればリスクは管理できるし、福島県で生まれた子供に現段階で異常はなく、ある意味で福島に対する差別を助長している内容だとも言えます。困ったものです。
相応の知性も兼ね備えた広瀬さんに、一体何が…
それにしても、広瀬さんは作家としての実績も充分ですし、相応の知性も兼ね備えた御仁であることは間違いありません。理系の知識があり、現状起きている放射能の状態を知っている人間であれば未知のことで確たることは何も言えないはずの事象について、ここまで論外なトンデモ本をまた書いてしまうのは何か理由があるのでしょうか。また、それを担ぐかたちになっているダイヤモンド社も、売れることを前提に不安を煽るような書籍を世に出すことで、お金以外の何かを失うような気はするんですよね。
原子力発電所関連のロスチャイルド家がどうの、という話は、もう単純な話が広瀬さんの知性では説明のつかない事実関係を調べ切れなかったので取り出してきた陰謀論の具でしかないのは明白で、いやー、全然関係ないだろとしか思えないんですよね。資本関係がどうのというのと、なんぞ陰謀が絡んでいるというのは同列に並べてはいかんと思います。
これでそれなりに読者がついて売れるというのは「面白い本を興味持っている読者に売る」というビジネスとしてはまことに結構ですが、この人は小説だけ書いていたほうが本当は社会にとっても本人にとっても幸せだったんじゃないかと改めて思う次第です。
(文=山本一郎)