強力なリーダーシップ
このように、こだわり抜いたプレモルの開発までの道のりを見ていきましょう。
宣伝や営業力に定評があるサントリーのビール事業が長らく黒字化できなかった理由について、佐治信忠前社長は「消費者にうまいと思ってもらえるものをつくれなかった。サントリーは、それを学ぶのに45年かかった」と語っています。
サントリーは63年、「キリンラガービール」全盛で苦味をしっかり感じるビールが主流であった市場に、2代目社長である佐治敬三氏が惚れ込んだ軽い味わいのビールで参入しています。市場での主流商品とのあまりの違いに消費者は「味が薄い」と拒否反応を示し、さらには「ウィスキーくさい」という中傷まで出る始末でした。消費者不在の単なるつくり手の自己満足のような商品になっていたわけです。
その後、86年になって、ようやく麦芽100%でコクのある「モルツ」に転換しています。「それまで、『我々がつくったものは絶対にうまい。それをわからんほうが悪い』という、少し驕ったところがあった。佐治敬三のそうした哲学を社内で打ち壊すことができなかった。それを壊すのは直系である息子の役目」と信忠氏が考え、実行したわけです。
89年、当時副社長であった信忠氏は武蔵野工場内に通常の20分の1規模のミニブルワリーを建設し、ビールの商品開発と生産チームに「うまいビールをつくれ」という指示を出しました。研究室ではなく量産移行が可能な本格的な施設で、それまで温めていた質の高いビールをつくり、ノウハウを積み重ねろという意味です。また、当時の工場は1回の仕込み量が多く、製造後の販売を考えると個性的なビールを製造するのは難しく、ヨーロッパのように小規模生産可能な施設が必要という事情もありました。
このようにトップの強力なリーダーシップのもと、ミニブルワリーまで建設して取り組むという大きなプロジェクトが立ち上がりました。リーダーシップに関連して、信忠氏は「新しいことに取り組む時には、必ず反対がある。とにかく前向きに指示を出していく。有無を言わせないリーダーシップをとらないと新しいものは世に出せません。『これがこうなって、これだけの利益を生む』なんていう細かい話よりも、我々が新しいサントリーグループをつくるんだという熱気を社内にたぎらせる。その機関車役ですわ」とコメントしています。こうしたトップの強いリーダーシップのもと、プレモルのプロジェクトは進行していったわけです。ここまで環境を整えられると、担当する技術者たちにも中途半端なものはつくれないという覚悟が生まれるのではないでしょうか。