坂本九が歌った「明日があるさ」は2000年8月、「ジョージア」のCMソングに採用されると、空前のリバイバル・ヒットとなる。「明日があるさ」は新語・流行語大賞のトップテンに入賞するなど社会現象を巻き起こした。カバーバージョンを歌ったウルフルズはCMに登場した吉本興業所属のお笑い芸人たちと一緒にNHK紅白歌合戦に出場を果たした。同曲は02年春の選抜高等学校野球大会の入場行進曲に選ばれた。こうした実績が米国本社に評価され、魚谷氏は01年10月、日本コカ・コーラ社長に就任した。この時、彼は「No.1のマーケティング会社を目指す」と宣言した。
資生堂とのかかわりは、前田新造社長(当時)からマーケティング分野の統括顧問として「エリクシール」「マキアージュ」「SHISEIDO」の主力ブランド刷新の助言を求められたのが始まりだ。顧問でありながら販売子会社や専門店に足を運び、現場担当者の生の声に耳を傾けた。“ポスト前田”の後任人事の選定が本格化した13年秋、前田氏は社外取締役らで構成する役員指名諮問委員会に魚谷氏を後継候補として推薦した。
資生堂の経営陣は難色を示したが、低迷を続ける自社ブランドを再生させるためには、マーケティングを重視する必要がある、との前田氏の主張が通り、最終的には全会一致で、魚谷氏を社長に迎えることを決めた。魚谷氏は14年4月1日、資生堂の社長に正式に就任した。140年を超える歴史を誇る同社で、役員経験のない外部の人間が、初めて社長の椅子に座った。
「化粧品のイロハもわかっていないド素人に何ができる」と当初、社内の空気は冷ややかなものだった。それから4年、プロ経営者は数字で“経営力”を証明してみせた。
プレステージブランドとボーダレスマーケティングが両輪
マーケティングのプロ経営者はタダモノではかった。20年を目標としていた「売上高1兆円」の中期経営計画を3年前倒しで達成するなど、業績を立て直した。再生のキーワードは、高価格帯の化粧品の活性化とインバウンド(訪日観光客)である。マーケティングの用語でいえば、プレステージブランドとボーダレスマーケティングとなる。プレステージブランドは、購入することが地位の高さを証明すると認められるような高価格帯商品のこと。ボーダレスマーケティングは、インターネットの普及により国境の壁をなくして売り込む販売手法だ。