家具大手のニトリホールディングス(HD)は、創業以来社長を務める似鳥昭雄氏が2月21日付で代表権のある会長に就き、後任社長に現副社長の白井俊之氏が昇格する人事を発表した。似鳥氏のワンマン体制からツートップに移行する。
「来年は消費増税があり大変厳しい。改革のスピードを上げなければならず、分担しなければ乗り越えられない」
トップ交代の記者会見で似鳥氏は事業運営の中核会社ニトリの社長を務める白井氏を、持ち株会社ニトリHD社長に引き上げる狙いをこう語った。
新体制では似鳥氏が最高経営責任者(CEO)を務め、「大所高所からビジョンを示し、戦略を練る」。白井氏は最高執行責任者(COO)として国内外の事業を統括する。
「満を持してのエース登板」。似鳥氏は白井氏をこう紹介した。
白井氏は北海道出身で、1979年宇都宮大学工学部卒。大学では化学を専攻していたが、ニトリが就職誌に載せていた「完成されたものほど、つまらないものはない」という言葉に共感し、畑違いの家具販売会社に入社した。ニトリが、まだ北海道の家具専門店だった頃のことだ。倉庫係からスタートし、20代半ばで店長を任された。当時としては異例だった店舗独自の仕入れを行うなど、アイデアマンとして頭角を現した。
2014年に事業会社ニトリの社長を任され、中国進出が始まった。店舗の確保、現地社員の雇用や教育、運営指導などの実務全般を仕切り、中国進出を迅速にやり遂げた。似鳥氏は「自分はかなわないと思った」と述懐する。これが社長の椅子を託した理由だという。
SPAモデルで29期連続の増収増益
ニトリHDの社長交代はサプライズだった。17年の創業50周年まで、似鳥氏が社長を続けると誰もが思っていたからだ。
16年2月期の売上高は前期比6.6%増の4450億円、営業利益は7.1%増の710億円、純利益は5.2%増の436億円の見込み。29期連続の増収増益を達成する見通しだ。圧倒的な価格競争力がこれを可能にした。商品は東南アジアの自社工場で企画・製造する。家具のSPA(製造小売り)といわれるゆえんだ。中間の物流コストを極限まで圧縮して安さを実現した。
似鳥氏は社長交代会見で、創業50周年と30期連続の増収・増益を「節目と考えていた」ことを認めたが、「変化の速い時代。節目にこだわることなく、グローバル化に取り組む」と語った。
国内での多店舗展開が似鳥氏のビジネスの生命線だった。しかし、今は早急に海外での展開を加速しなければならないという思いに駆り立てられている。
32年に3000店が目標
似鳥氏は1967年、23歳の若さで札幌市に似鳥家具店を創業した。転機を迎えたのは32歳の頃。チェーンストア理論の第一人者である故渥美俊一氏を知る。「チェーンストアは11店舗目から始まる」が渥美氏の持論。そこから100、200、1000店と数を増やしていかなければ、お客が求めている品質や機能、安さを実現できないと説く。77年、似鳥氏は渥美氏が主催する研修セミナー、ペガサスクラブに入会した。
渥美氏は全国のスーパーが加盟する日本チェーンストア協会の生みの親である。読売新聞経済記者時代の62年に、チェーンストアづくりの研究団体、ペガサスクラブを創設した。
メンバーは中内功氏(ダイエー=当時は主婦の店ダイエー)、伊藤雅俊氏(イトーヨーカ堂=ヨーカ堂)、岡田卓也氏(イオン=岡田屋)、二木英徳氏(イオン=フタギ)、西端行雄氏(マイカル=セルフハトヤ)、大高善兵衛氏(ヨークベニマル=紅丸商店)、西川俊男氏(ユニー=西川屋)、和田満治氏(イズミヤ=いずみや)など、スーパーの若手経営者13人だった。翌年には、堤清二氏(西友=西友ストアー)も参加した。
日本の流通革命を担う若手経営者たちはペガサスクラブから巣立っていった。師と仰ぐ渥美氏との出会いがなかったら、今日のニトリはなかったと似鳥氏は言い切る。
ニトリの店舗数は国内に379店、台湾、中国、米国に計37店ある。これを22年に合計1000店、32年に3000店に増やすのが目標だ。これからも走り続けなければならない。
「創業者に2代目は必要ない」。似鳥氏の事業に対する考え方だ。だから、長男をニトリに入社させていない。後継者に指名された白井氏は、「(似鳥氏から)今までのやり方を否定しろ」と言われたことを明らかにした。
白井色をどうやれば出せるか。超えなければならない超ワンマン・オーナーの壁は高くて厚い。
実母が「『私の履歴書』は嘘ばかり」と暴露
似鳥氏は15年4月から1カ月間、日本経済新聞にコラム『私の履歴書』を連載した。子どもの頃の極貧生活や父親の理不尽な暴力、クラスでの陰湿ないじめ、高校進学時にはヤミ米を1俵ほど校長に届けて裏口入学をしたこと。大学時代は授業料を稼ぐためにヤクザを装って飲み屋のツケを回収するアルバイトをやっていたことなどが赤裸々に語られ、連載中から評判を呼んだ。
だが、「あそこに書かれていることは嘘ばかり」と批判する人物が現れた。似鳥氏の実母、似鳥みつ子氏である。「週刊文春」(文藝春秋/15年5月21日号)は『大塚家具より過激 日経「私の履歴書」は嘘ばかり! ニトリ似鳥昭雄社長に実母が怒りの大反論』のタイトルで、みつ子氏の2時間にわたるインタビューを載せた。
みつ子氏は「あの子は小さい頃から嘘つきなのさ。今回もワルぶって恥ずかしいことばかり書いて。開いた口はふさがりません」と切って捨てた。特に腹に据えかねたのは、ニトリ創業のくだりだ。
似鳥氏は「家具屋は自分が考えた末のアイデア」だと語っているが、みつ子氏は「家具屋は父さん(夫の義雄氏)がやるっていって始めた」と証言した。似鳥氏は『私の履歴書』の中で、自分ひとりで創業したとしているが、みつ子氏は似鳥氏と自分たち夫婦の3人で創業したと主張している。
もともとニトリの株式は父・義雄氏の名義だった。89年に義雄氏が死去し、ニトリ株を似鳥氏が相続したが、その元となった遺産分割協議書は「偽造されたもの」だと、母親と似鳥氏の3人の妹弟が似鳥氏を訴えた。2007年に訴訟を起こした当時のニトリ株式の時価総額は200億円。ニトリ株をめぐって骨肉の争いに発展した。
似鳥氏も徹底抗戦した。1審の札幌地裁では12年1月、同氏が全面勝訴した。判決を不服として母親と妹弟側は札幌高裁に控訴。控訴審で和解が成立した。「週刊文春」によると、似鳥氏は和解後に母を訪ねたが会ってもらえなかったという。
似鳥氏の所有株式数は340.9万株、発行済み株式の2.98%(15年8月末時点)。15年の大納会(12月30日)のニトリHDの株価は1万230円。それで計算すると、時価348億円になる。
裁判で争っていた当時、似鳥氏は発行済み株式の12.4%を所有する筆頭株主だったが、和解後に株主構成は大きく変化した。似鳥氏の持ち株は大幅に減り、第8位の株主に後退した。一族の資産管理会社の持ち株比率が高まり、自社株(自己株口)が大株主に登場した。
筆頭株主はニトリ商事(発行済み株式の12.95%)、2位はニトリ興業(同5.01%)。公益財団法人似鳥国際奨学財団(同3.50%)、似鳥氏(同2.98%)と夫人の似鳥百百代氏(同2.69%)の分を合わせると、一族が所有する株式の時価総額は3192億円に達する。
ニトリHDは自社株を3.04%所有。似鳥氏が和解金を支払うために会社が持ち株を買い取ったものと推測される。
超ワンマンの似鳥氏だが、母だけはどうも苦手のようである。
(文=編集部)