小池百合子・東京都知事は、平成28(2016)年の都知事選で主要政策として「満員電車ゼロ」を掲げて当選した。普段は通勤電車を利用していないようで、具体的な施策として提示した内容が非現実的で、インターネット上を中心に批判を浴びることになった。
そもそも「満員電車」とはなんなのか。電車の定員は座席と立席からなっており、定員どおりでも混雑感がある。快適な通勤というならば少なくとも「着席」が必要であるが、JR東日本の近郊電車で唯一2階建て普通車である215系の、1両の定員120名を基準にして考えると、今よりも通過車両数を2.5倍に増やす必要がある。中央線や京浜東北線は現在10両編成であるので、これを15両に増結するとしても運転本数を倍近くに増やさなければならない。すでに線路のキャパシティが限界に達している現状では、線路を増設するなどの大規模な投資が必要である。
大阪のJRの通勤電車は、増結や増発、新型車両の投入、阪神なんば線のような新線の開業による流動のシフトで、急速に混雑率が低下した。しかし、東京の通勤電車は、地下鉄や私鉄を含め、定員の2倍近い混雑率が続いている。新線が建設されたり増結・増発が進められたものの、経済活動の一極集中が進行するのに伴い、郊外部の住宅開発が続いて旅客数が増加、混雑率の緩和につながらなかった。輸送力が限られるなかで、最大混雑時の旅客を前後の時間帯に移す「時差通勤」を奨励して、ある程度効果があったが、かつての殺人的ラッシュが緩和されただけで、依然として混雑は酷い。
通勤時間は、それ自体が社会的損失であり、その時間を余暇に使ったならば、リフレッシュされて仕事も大いにはかどるだろう。通勤混雑により疲れて、職場での仕事の効率性を低下させ、ミスを誘発することになれば、それによる損失は計り知れない。
通勤混雑を緩和することは、社会経済的に重要な課題であることに違いはない。しかし、巨額の設備投資を行っても、人口減少の時代では、それによって旅客が増加するわけではない。資本費用やランニングコストの増加を収入でカバーすることができないので、それだけ企業の収支を悪化させる。
JR東日本は、現在は大きな利益を出しているが、これからの日本経済の低迷、人口の減少、とくに就学・就労年齢のアクティブな人口の減少は、鉄道の運輸収入を減少させることは確実である。つまり、社会的に混雑緩和は必要なのであるが、JR東日本の企業経営という観点からは、大幅な混雑緩和のための設備投資を行うことは無理なのである。
「混雑率127%」が実行可能な目標値
そうすると、企業の収支と乗客の快適性のバランスをとりつつ、どこまでの混雑率の改善が適切であるのかという検討が必要である。
現在、国は混雑率緩和の目標を150%に設定している。ただ、定員の倍を超えるような混雑である東京では、暫定的な目標値を設けて、180%までの改善を目標としている。
私案としては、通勤電車では、座席のほか手すりやつり革といった掴まることができる器具の数程度の立席は許容できるのではないかと考える。中央線などで運用しているE233系の場合、1車両当たり190名程度ということになる。国の発表する混雑率の基準となる定員が150名程度であるので、混雑率127%を実行可能な混雑緩和の目標値とすべきであろう。なお、車体に表記されている定員数は162名なので、これに対しては118%ということになる。これでも、定員の倍を運んでいる路線では、3割以上の増発や増結が必要となる。
国は、東京圏の都市鉄道整備について、ほぼ10年ごとにマスタープランを策定している。現在、計画されている新線(東京~三鷹間の地下新線等)などの鉄道整備が実現すれば混雑率127%も可能な数字である。既成市街地での建設は巨額な事業費を必要とするため、鉄道事業者だけではとうてい負担できない額であるので、現在でも国や自治体が補助金などの財政負担を行う制度がある。公共が手厚く支援することで、混雑緩和の実現を目指すべきであろう。
また、これからは人口減少ばかりでなく、都心部での再開発や、自宅や郊外のコワーキング・スペースを利用したテレワークの拡大、フリータイム制(フレックスタイム制)の拡大によるラッシュ時を外れた通勤が普及すれば、ある程度は混雑率が低下するであろう。
グリーン車の増結というクールな決定
JR東日本は近年、輸送力の増強に加えて、着席サービスを拡大・多様化してきている。たとえば、着席料金が必要な通勤ライナーや特急料金の必要な通勤特急、近郊電車へのグリーン車の連結である。
令和5(2023)年、中央線の大月~東京間と青梅線青梅~立川間でグリーン車のサービスを開始する予定である。当初は、令和2(2020)年の計画であったが、御茶ノ水駅のバリアフリー工事との関係で遅れている。現在E233系10両編成のところ東京寄りから4両目と5両目にグリーン車を連結して、12両編成となる。あわせて6両目の普通車には、車いす対応のトイレが設置される。
平成29(2017)年度、中央線快速の中野→新宿間の最混雑1時間の旅客数が8万1,560人で、混雑率184%である。将来、旅客が1割程度減少すると混雑率は165%。グリーン車が増結されると普通車からグリーン車の定員数5,400人の旅客が移るとして、普通車の混雑率は153%となり、国の長期的な目標もクリアできない。
ここで、仮にグリーン車ではなく普通車を2両増結すると、混雑率は137%まで低下し、国の目標をクリアし、さらに1列車を増発すると、私案の127%もクリアできる。つまり、混雑緩和だけを考えると、グリーン車ではなく普通車を増結するほうが効果は大きい。しかし、それでは中央線の路線収支を悪化させてしまうというジレンマがある。
JR東日本においては、平成19(2007)年3月に常磐線の近郊電車でグリーン車のサービスが開始されて、現在のグリーン車のネットワークがほぼ完成したが、同年度の各路線のグリーン車による増収効果は、年間約130億円と計算された。中央線はラッシュ時だけでなく、昼間も比較的混雑することから、グリーン車の平均混雑率を50%とすると、年間50億円を超える増収と予想できる。
12両への編成増強には、車両の新造費用だけでなく、ホームの延伸、車両基地の留置線の延伸、汚物処理施設の新設など巨額の費用が掛かる。グリーン料金の増収額により投資費用を十分回収することができるし、さらに増益も期待できる。結果的にJR東日本は、混雑率と収支とのバランスで、グリーン車の増結というクールな決定を行ったのである。
令和2(2020)年3月のダイヤ改正で、中央線の快速の運転時間帯の拡大と、快速と各駅停車車両の運用の分離を行う大規模なダイヤ改正が計画されている。これは東京オリンピックのメイン会場の最寄り駅である代々木、千駄ヶ谷、信濃町駅にホームドアを設置するが、扉位置の異なる快速線の電車に対応できないためである。しかし、これにより快速電車の増結もスムーズに実施できることになる。また、オリンピック後に順次、中央線快速(東京~立川間)、各駅停車、総武線の各駅にホームドアが設置される計画である。