本来ならば駅に停車しなければならないのに、列車がプラットホームの所定の位置に停止できなかった――。日ごろ鉄道を利用していれば、一度や二度は経験したことがあるかもしれない。
いま挙げたトラブルを一般にオーバーランという。定義は特になく、鉄道会社を監督する国土交通省も統計をまとめていない。筆者の経験上、最もよく遭遇するのは数メートル程度のオーバーランだ。たいていの場合、列車はすぐに後退して所定の位置に停止する。多少の遅れは生じるものの、おおむね1分以内で済む。
原因はいくつか挙げられる。最も多いのは、運転士がブレーキを作動させるタイミングが、なんらかの理由で遅れてしまったからである。ブレーキをかける位置を間違えたといった操作ミスをはじめ、眠気や考え事などをしていたなどといった不注意だ。
車両が原因となるオーバーランも案外多い。雨や雪で車輪が滑ってしまったり、ブレーキの機構上の理由で急に効かなくなるといった理由が挙げられる。ブレーキの機構上の理由で急に効かなくなるとは、新幹線の車両から通勤電車まで、いまや多くの電車が備えている電力回生ブレーキの失効が主なものだ。電力回生ブレーキとは、電車のモーターを発電機として使用することで生じる抵抗力で車軸の回転を止め、発電された電力を架線や蓄電池に送電するブレーキを指す。
一般に電力回生ブレーキ装置は、発電した電力の電圧よりも架線の電圧が著しく高い、つまり発電した電力をだれも使ってくれない状態に陥るとブレーキが作動しなくなってしまう。電力回生ブレーキが作動しないとなると、電車は自動的にバックアップとして摩擦力を用いた空気ブレーキ装置を作動させるのだが、わずかながらもタイムラグが生じてしまう。特に停止間際に電力回生ブレーキが失効してしまうと空気ブレーキ装置の作動が間に合わず、列車は所定の停止位置を通りすぎてしまうのだ。
とはいえ、電力回生ブレーキが普及したいま、頻繁に失効していては困る。鉄道会社側でも対策を考えていて、他の列車が電力回生ブレーキによって発電された電力を消費できない場合、架線に電力を供給する変電所の近くに設置された抵抗器がこの電力を強制的に吸収して、電力回生ブレーキを確実に作動させる仕組みが導入された。
ちなみに、通勤電車のように通勤ラッシュで車内が混雑しているときと日中の時間帯などで空いているときとでは、当然のことながら列車を止めるために必要なブレーキ力は異なる。だが、今日の電車の大多数は応荷重制御(おうかじゅうせいぎょ)といって車内の混み具合に応じて自動的にブレーキ力を調整する仕組みを持つ。応荷重制御では車両の走行装置である台車に取り付けられているばねの沈み具合で車内の混み具合を判別し、運転士がかけたブレーキを必要に応じて増やす。ラッシュ時だからといって車両のブレーキ力が不足するケースはまずないと考えてよい。
オーバーラン発生の理由
件数は少ないと見られるものの、深刻な事態に発展しやすいのは数十メートルを超えるオーバーランだ。列車を後戻りさせることができず、行き過ぎてしまった駅を通過せざるを得なくなるケースもしばしばで、該当の駅で乗り降りする予定であった旅客に大きな影響を及ぼす。新聞やテレビ、ラジオのニュースで報じられるケースも多い。
2019年の上半期、つまり1月から6月までの181日間で全国紙、ブロック紙、地方紙といった新聞各紙、それからNHKや民放のキー局を中心としたテレビ局各局で取り上げられたオーバーランの件数は35件であった。平均すると5.2日に1回の割合で報じられていることとなる。しばらくは数字ばかりで恐縮だが、以下に35件のオーバーランを分析してみよう。
まずは行き過ぎてしまった距離についてだ。
最も長かったのは5月21日にJR東日本常磐線の柏駅でのオーバーランで、2000メートルにも達した。いっぽう最短は大阪モノレールとして知られる大阪高速鉄道の国際文化公園都市モノレール線(彩都線)の公園東口駅での5メートルである。35件の平均は198メートルで、つまりは200メートル、おおむねJR旅客会社各社の車両10両分も行き過ぎれば大事となるのだ。
読者の皆さんが興味を抱いているのは、どの鉄道会社のどの路線でオーバーランが多く発生しているかであろう。実はこうした統計は精度が低いと筆者は考える。列車の本数や速度、駅の立地など背景となる条件には差異が多く、そのうえ鉄道会社がオーバーランを公表する基準が異なるからだ。
以上の注釈を付けたうえでまとめると、オーバーランが最も多かったのはJR東日本で19件に達した。そして、路線ではJR東日本の常磐線が最多で5回、しかも柏駅では先に挙げた5月21日のオーバーランのほか、4月13日にもオーバーランが発生している。
それでは原因の分析へと移ろう。
35件中最も多かったのは、運転士が本来停車すべき駅を通過駅と勘違いしてしまったという理由で、ほぼ半数近い17件であった。次いで多かったのは運転士が急に眠気に襲われたというもの。こちらは10件発生した。単に眠かったという理由が多いなか、1月8日に総武線の東船橋駅でのオーバーランを引き起こした運転士は睡眠時無呼吸症候群の検査で要経過観察と診断されていたという。3番目に多いのは運転士の操作ミスで8件だ。車両の滑走、そして運転士が考え事をしていたという理由が同数で3件ずつと続き、残る1件は報道だけでは理由が判明しないものであった。
車両側の事情を除くとオーバーランは人間のミスによって起きるから、なくすことはできる。とはいっても、運転士の心がけ次第といったいわゆる精神論を基調にした前時代的な考え方では再発を防げない。信号装置といった信号保安装置の働きにより、誤って通過しようとする列車を止めてしまうバックアップシステムによって解決するのが現代の方法だ。
駅には数多くの信号機が設けられており、駅構内に入線してよいかどうかを示す場内信号機、そして駅構内から出てよいかどうかを示す出発信号機は基本的にどの線路にも建てられている。ならば、駅に停車する列車が近づいたら出発信号機を停止信号、つまり赤を表示すればよいとはだれでも考えつく。
しかも、今日の国内の鉄道ではATS(Automatic Train Stop device:自動列車停止装置)やATC(Automatic Train Control device:自動列車制御装置)といった信号保安装置の働きによって、停止信号を無視したり、制限速度を超えて運転することはできないシステムがほぼ完備されている。少なくとも運転士側の事情に基づくオーバーランなど、いますぐにでも撲滅できるはずだ。
ところが、現実の信号機はいま挙げた仕組みとはなっておらず、信号機の先の区間に進入しても安全であるという意味を示しているにすぎない。現実に出発信号機の大多数は、信号機の先に列車が存在しなければ、駅に停車しなければならない列車に対しても進行信号、つまり青を表示する。これではATSもATCもオーバーランには太刀打ちできない。
誤通過防止装置
それでもオーバーランを防ぐ手立ては存在する。ATSやATCに誤通過防止装置を付け加えればよいのだ。この装置は大きく分けて2種類あり、一つは言うまでもなく、すべてまたは一部の駅で列車が誤って通過しようとすると自動的に列車を止めてしまう。筆者が確認したところでは、大手私鉄の京王電鉄、小田急電鉄、東京急行電鉄、東京地下鉄、相模鉄道、近畿日本鉄道、京阪電気鉄道の7社で採用されている。正式な名称は特にないものの、停止機能付き誤通過防止装置とでも呼ぼう。
もう一つは、列車が停止すべき駅に近づくとアラームが鳴って運転士に注意を促すという機能の付いた誤通過防止装置だ。JR旅客会社を中心に大手私鉄の多くでも導入が進んでいる。こちらも正式な名はなく、アラーム付き誤通過防止装置とでも呼んでおこう。
停止機能付きとアラーム付きとでは優劣は明らかだ。現に後者の導入が進んだJR東日本の各線では、2019年の上半期だけでもオーバーランが多数起きている。一方、先ほど紹介した35件のオーバーラン中、前者を採り入れた大手民鉄7社ではマスメディアで報じられるようなオーバーランは発生していない。
ちなみに、停止機能付き誤通過防止装置自体は古くから存在する。京阪電気鉄道では1971年7月から、近畿日本鉄道では1972年3月から一部の駅で採用された。令和の世になってまだ大幅なオーバーランが起きているなど、当時の人が知ったら驚くであろう。
停止機能付き誤通過防止装置の普及がいまだに進んでいないのは、システムが大がかりになるからだ。ATSにしろATCにしろ、基本的には地上側となる線路に地上子と呼ばれる一種のセンサーを置き、列車がいまどこを走っているのかを検知して列車を止めたり、速度を制御する。駅に停車するか通過するかを判定させるには別の地上子を設置する必要があり、列車からも停車駅に関する情報を送ってもらわなくてはならない。
こうした機能を追加して維持する手間も費用もかかるとして導入に二の足を踏む鉄道会社が多いのは残念だ。乱暴な意見ながら、所詮はオーバーランが起きても事故が起きる可能性は低いので、鉄道会社側も鉄道会社を監督する立場の国土交通省も静観しているのであろう。
ここまでで、オーバーランはこれからも続くのかと暗い気持ちになった方も多いかもしれないが、明るい話題もある。それはJR西日本が導入を検討している新しい保安装置のD-TAS(Database oriented Train Administration System)だ。
D-TASを作動させるのに必要なものは個々の列車の運転に関する情報、つまり次の駅で停車するのか通過するのかといった情報だ。こうした情報はデータベースとなり、車両に搭載されたD-TASに格納されるという。D-TASは既存のATSの地上子、そして車両自体が速度計で測定することで列車の正確な現在位置を把握し、データベースに基づき、列車をきめ細かくコントロールする。具体的に言えば、停車すべき駅を誤って通過しないように見守り、もしも通過しようとすれば列車のブレーキを自動的に作動させるのだ。
しかも、駅の所定の停止位置を通り過ぎた途端に急ブレーキをかけさせるのではない。D-TASは停止位置までの距離を判別し、その前から適切なブレーキを列車に作動させる。限定的ながら一種の自動運転と言ってもよい。
すでにD-TASは2018年5月20日から山陽線の西広島-岩国間で導入されており、2020年春には同じく山陽線の白市(しらいち)-西広島間にも広げられるという。D-TASのような仕組みはJR東日本などでも開発済みで、あとはすべての車両に搭載するかどうかといった段階にまで到達している。完全に普及すればオーバーランがマスメディアを賑わす機会も減るに違いない。
(文=梅原淳/鉄道ジャーナリスト)