会社の経営者にとってもっとも重要かつ究極的な責務は、企業の持続可能性(サステナビリティー)の担保である。
ゴーイング・コンサーン(継続する会社)という言葉がある。企業はゴーイングでなければならない。倒産や衰退をするとステークホルダー(利害関係者)に対して迷惑をかける。社員は職を失い、取引先は仕事が減り、銀行は損失を被る。
一昔前、バブル景気の頃には「企業の寿命30年」というのが定説だった。それが現在では、「企業の寿命18年」と短縮している。それだけ変化のスピードが速くなり競争の激しさが増しているということだろう。ところが、平均寿命が短くなったなかで、創業以来200年以上の命脈を保っているという、いわゆる老舗企業が日本には3,300社以上あるそうだ。長寿企業と衰退(または倒産)企業の差は何かというと「後継者の育成」という基本的な命題に尽きる。
「有終の美」という言葉がある。経営者にとっての有終の美とは、まず自社の経営基盤を確固たるものに築いた上で、自らの引き際を自分で決め、自分が去った後の経営を担うことのできる後継者を育成しておくことである。
ところが、現実問題として経営者、それも社長がいさぎよく身を引くということはなかなか難しい。多くの場合「有終の美」どころか「老醜の愚」を露呈してしまう。
経営者が最後の身の引き方を誤る原因は、「妄執と錯覚と傲慢」の3点セットである。「自分はここまで会社を伸ばした。業績も上げた。市場占拠率(シエア)も高めた」と思えば思うほど、自分の経営方針に対して自信が増す。自分を放置しておくと過信となり、過信が高じると傲慢となる。
いつの間にか、会社にとって自分は掛け替えのない存在なのだという妄執や錯覚に取り憑かれる。段々と自分に対して異論や異見を唱える人が疎ましくなる。耳に痛いことを言う人を避けた上に排除する。ある日、気がついたら自分の周りにいる人間はすべてイエスマンばかりということになる。その時から経営者は身を滅ぼし、次に会社を滅ぼす。
権力は腐敗する
「権力は腐敗する、絶対的権力は絶対に腐敗する」(ジョン・アクトン/英国の思想家・歴史家・政治家)という言葉がある。経営者は社長という権力の座に長くいればいるほど、自分の本当の姿が見えなくなる。自分はこの会社にとってなくてはならない存在だと思い込む。ところが多くの社長は、「あの社長はなんと見極めが下手なのだ。とっくに旬は過ぎているのに、いつまでも社長の椅子にしがみついている。早く辞めろ!」と陰口を叩かれている。