5月11日、トヨタ自動車が2016年3月期の決算発表を行った。特に印象的だったのが、豊田章男社長が「今年に入り大きく潮目が変わった」と述べたことだ。この発言は、日本の稼ぎ頭であるトヨタを取り巻く経営環境が厳しくなっていることを如実に示している。潮目が変わった最大の要因は、為替市場で円高方向への動きが進行していることだ。
世界の金融市場を見ると、先行きの不透明感は明らかに高まっている。中国経済の減速は言うに及ばず、米国政府はドル高が自国経済に与えるマイナスの影響を懸念している。米国財務省が為替報告書のなかで、日本を監視リストに挙げるなど他国へのけん制も強い。それを受けて、ヘッジファンドなどの投機筋は円買い、ドル売りのオペレーションを続けている。その意味では、世界経済の成長モメンタムは徐々に低下している。
そのなかで米国経済も徐々に景気のピークを迎える可能性がある。世界各国が輸出振興などを目的に通貨安を期待するなか、昨年年央ごろまでのようなドル高トレンドの再来は期待しづらい。
そのため、基調として円高が続くことは念頭に置くべきだ。今後、企業が生き残るためには自助努力を重ねて新しい技術や製品を生み出すしかない。円安という追い風が止みつつあるなか、わが国の企業経営を取り巻く環境が厳しさを増すことは忘れるべきではないだろう。
トヨタの業績見通しが示唆する経済の環境変化
トヨタ自動車の16年3月期(15年4月~16年3月)決算は、営業利益が2兆8,539億円(前期比+3.8%)、純利益は2兆3,126億円(前期比+6.4%)となり、過去最高を更新した。過去最高の業績の背景にはコストカット(+3,900億円)為替レートの変動(+1,600億円)等のプラス要因がある。
過去最高の業績を達成したこと以上に市場参加者の関心を集めたのが、周囲の予想を下回る来期の業績予想だ。17年3月期の自社予想は、営業利益が1兆7,000億円(前期比▲40%)、純利益が1兆5,000億円(同▲35%)と公表された。この水準は、アナリストらの予想を大きく下回る。
慎重な業績見通しの理由は為替レートの変化にある。トヨタの決算資料では、ドル/円の水準が当期の120円から105円に切り下げられた。ユーロ/円も133円から120円に下方修正された。
どの程度、円高が業績を圧迫しているかを見ると、16年3月期の営業利益との差額(▲1兆1,539億円)のうち、9,350億円が為替レートの変動である。その大半を米ドルの下落(ドル安円高)が占めている。この額は原価改善の努力(+3400億円)の2.75倍程度に相当する。為替レートの変動は、企業の自助努力を打ち消して余りあるマグニチュードを孕んでいることは明らかだ。
こうした円高の影響等を受けて、豊田社長は経営環境の「潮目が変わった」と指摘した。そして、これまでの業績は、円安の恩恵を受けた“追い風参考記録”であるとも述べている。なお、豊田社長は本年の春闘の折にも、経営の潮目が変わったと慎重姿勢を示した。日本経済を代表する企業トップが経営の潮目の変化を感じていることは、内外の経済環境が転換期を迎えていることと考えたほうがよいかもしれない。
ドル高に神経をとがらせている米国
豊田社長が用いた“追い風参考記録”との表現は、経営者として円安による業績のかさ上げを、これ以上期待できないという見方にほかならない。世界経済の潮目の変化は、中国等の新興国、資源価格等、広範な分野で議論が可能だ。そのなかでも特に重要なのが米国経済の動向だ。
今、世界の金融市場で起きていることは、11年11月から昨年年央ごろまで続いたドル高の修正だ。この状況を端的に表すと、シェールガス開発の進展によってリーマンショック後の低迷から徐々に立ち直ってきた米国経済に、徐々に息切れが目立ちつつあるということだ。
米国経済の歴史を振り返ると、米国政府は景気が好調なときはドル高を容認することが多かった。しかし、ひとたびドル高が輸出や企業業績を圧迫していると判断するや、政府はドル高ではなくドル安を志向してきた。
そして、昨年ごろから米国経済はドル高に耐えられなくなっている。米国財務省が為替報告書のなかで円を監視リストに入れたことは、日本が景気回復を進めるためにドル高・円安を期待していることを強くけん制している。FRB(米連邦準備制度)関係者の発言を見ても、「ドル以外の通貨の台頭は懸念する必要はない」と、ドルが基軸通貨であることにこだわらない姿勢まで示している。
円安が進むためには、米国経済の強い回復が必要になる。それは米国の経済指標次第だが、現実的にはドル高トレンドの再来は期待しづらいのではないか。過去の景気循環に照らせば、すでに米国経済がピークまで7~8合目に差し掛かっている可能性がある。そして米国の労働市場は完全雇用の状態にあるとみられる。一方で賃金の上昇圧力は市場の予想の範囲内だ。
景気のピークが近いことを踏まえると、さらなる労働市場の改善が賃金上昇圧力をもたらし、利上げ期待を高める状況は想定しづらい。ヘッジファンド等の投機筋がドル売り、円買いを続けていることも考慮すると、円高の流れは続きやすい。
イノベーションを進めたものが生き残る
円安という追い風が止みつつあるなか、先行きの経済の不確実性は高まると考えるべきだろう。特に日本企業は、技術力を中心とした本源的な経営基盤の強さがより強く問われる環境を迎える可能性がある。
不確実な環境を乗り越えるためには、企業の自助努力を進めるしかない。新しい技術、製品、組織等の創出を通してイノベーション=創造的破壊を進めることに尽きる。円高による外貨建て資産の評価額の減少、海外収益の落ち込みをカバーするためには、企業自ら新しい収益源を開拓するしかない。
気になることは、政府が真剣に円高への対抗策としてのイノベーションの推進を考えているかだ。報道される内容を見る限り、円高への対抗策として、政府内では為替介入、日銀追加緩和に対する関心が強い。米国がドル安を欲し、世界が為替相場は“秩序だっている”との認識を共有するなか、日本単独の為替介入を行ったとしても目に見えた効果は出ないだろう。日銀の追加緩和もやるべきではない。
日本経済再生には企業の活力を最大限に引き上げるしかない。トヨタの経営は、イノベーションの結晶だ。ハイブリッド自動車、そして、燃料電池車と、新しい技術実用化することで新しい市場を生み出してきた。この能力が、潮目が変わった先の環境を乗り切るために必要だ。
足許、日本企業の経営を俯瞰すると、三菱自動車工業のように自社の利益のみを追求し不正を繰り返してきた企業、そして改革を怠り海外企業に買収された例も目立つ。一般企業の経営が上向かない以上、経済は回復しない。今後、企業を取り巻く環境が厳しさを増す恐れがあるなか、官民総出で何が競争力の向上と経営の強化に必要かを真摯に考える必要があるだろう。
(文=真壁昭夫/信州大学経法学部教授)