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日本の造船業界、存亡の危機…“地方の独立系”今治造船が“大手”JMUを救済の異常事態

文=編集部
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「今治造船株式会社 HP」より

 中韓勢の安値攻勢で苦境に立たされている日本の造船会社が大型再編に動き出した。国内造船首位の今治造船(愛媛県今治市、非上場)と2位のジャパン マリンユナイテッド(JMU、横浜市、非上場)が3月末、資本業務提携した。

 今治造船が10月1日付でJMUが発行する新株を譲り受け、議決権ベースで30%出資する大株主になる。現在、約46%ずつ出資しているJFEホールディングス(HD)、IHIの持ち株比率は、それぞれ約32%に低下する。今治造船が第3位の大株主になる。

 提携の第1弾として10月にも大型タンカーやばら積み船など液化天然ガス(LNG)以外の商船の営業・設計会社、日本シップヤード(東京・千代田区)を設立する。資本金は1億円。今治造船が51%、JMUが49%出資し、人員は両社からの出向者で500人規模となる。社長にはJMUの前田明徳取締役執行役員、副社長には今治造船の檜垣清志専務取締役が就く。

 今治造船の建造量は450万総トン、JMUのそれは236万総トン。2社を合わせれば国内シェア50%を握るメガ造船会社が誕生するが、それでも世界シェアではわずか1割にとどまる。大型合併で巨大化する中韓勢の足元にも及ばない。

 今治造船の檜垣幸人社長は都内で開いた記者会見で、「日本の造船業を残すため、いい品質で最先端の船を誰よりも早く造る」と強調した。JMUの千葉光太郎社長は「今治造船の規模、販売力と我々の人材や技術を融合すれば強い会社になる」とした。

「海賊の末裔」といわれる造船一族・檜垣家

 今回の提携は、「地方の独立系」の今治造船と「大手重工系」のJMUという、これまで交わることはなかった2社が手を結んだことに意味がある。造船不況を象徴する“事件”だ。

 JMUの成り立ちを振り返ると、1995年、石川島播磨重工業(現・IHI)と住友重機械工業の艦艇部門が統合して設立された。2002年、石播の海洋船舶部門が統合し、アイ・エイチ・アイマリンユナイテッドに商号変更した。同年、日本鋼管(現JFEホールディングス)と日立造船の船舶部門が統合してユニバーサル造船が発足した。13年1月、ユニバーサル造船を存続会社としてアイ・エイチ・アイマリンユナイテッドを吸収合併し、現在のJMUが誕生した。

 今治造船は非上場のオーナー企業ゆえに、その実態はほとんど知られていない。オーナーの檜垣家は謎の造船一族と呼ばれている。今治造船本体のほか、グループ・関連会社・取引先など檜垣一族の総数は100人になんなんとする。

 愛媛県には檜垣家と並ぶオーナー企業、大王製紙の井川家があった。井川家は創業家の3代目がバカラ賭博に狂い、創業本家は経営の第一線から身を引いたが、大王製紙が井川家の一族郎党を養っている構図は変わらない。檜垣家は安土桃山時代に瀬戸内海を支配した村上水軍・来島家の家臣団がルーツといわれている。だから、「海賊の末裔」と呼ばれるのだ。

 1901(明治34)年、檜垣為治が今治市内に檜垣造船所を創業したことに始まる。太平洋戦争の戦時下の国家統制で地元造船の6社が合併し、今治造船が生まれた。戦後、今治造船は仕事がなく、従業員も離散。現場総監督を務めていた為治の次男の正一は、息子(長男)の正司らとともに今治造船を飛び出し自分たちの造船所をつくった。その後、船大工の大半を失い休業に追い込まれた今治造船が支援を要請してきたため、正一は資本金30万円をかき集め、古巣に戻った。59年、正一が今治造船の社長に就任。これ以降、檜垣家がオーナーとなった。

中興の祖は檜垣俊幸・グループ社主

 1980年代には、三菱重工業、三井造船、石川島播磨重工業、日立造船といった大手造船会社が競争していた。今治造船の生産能力は大手造船会社の3分の1だった。今治造船は瀬戸内海に数多くある地場の独立系の造船所の一つにすぎなかった。造船不況で大手がドックを削減し、新事業にシフトするなか、今治造船は経営不振の地場の造船会社を次々と傘下に収め規模を拡大していった。

 92年、実質創業者である正一の長男、正司が会長になると、正一の三男の俊幸が跡を継いで社長の椅子に座った。俊幸が今治造船を業界トップに押し上げる礎を築き、中興の祖と呼ばれている。俊幸の現在の肩書はグループ社主である。2005年、俊幸の後任の社長の栄治(正一の五男)が亡くなり、幸人が43歳の若さで社長になった。幸人は俊幸の長男。慶應大学卒業後、三井物産に入社し、船舶部で2年間の修業を経て今治造船に入った。

今治造船が大赤字のJMUを救済

 今治造船は非上場のため財務情報は開示していない。唯一、知ることができるのは官報に掲載される決算公告のみだ。

 2019年3月期決算(単体)の売上高は前期比9%増の3910億円、純利益は同95%増の116億円。黒字経営を続け利益剰余金は3692億円ある。これに対してJMUは大型LNG運搬船の建造で巨額の工事損失引当金を計上、18年3月期は698億円の最終赤字に陥った。19年3月期決算(単体)の売上高は前期比11%減の2541億円、純利益は12億円の黒字に転換したものの、利益剰余金は377億円の赤字だ。

 さらに、JMUの20年3月期は純損益が360億円の赤字の見込みだ。JMUの業績悪化を受けて、出資企業は20年3月期の連結決算で、JMU株の評価損を計上する。46%出資するJFEは165億円の投資損失を計上。同じく46%出資のIHIは92億円、8%出資の日立造船は26億円の評価損を計上。すでに発表している65億円と合わせて特別損失は91億円になる。日立造船の例から見てIHIは追加で減損処理をする可能性大だ。

 今治造船JMUの財務内容には雲泥の差がある。今回の提携は今治造船によるJMUの事実上の救済である。

 JMUの出資企業であるIHIは脱造船を進め、航空機エンジンに経営の軸足を移している。JMUの株式を売却して、造船から完全に手を引くのではないかという観測が流れる。国内の造船業界は川崎重工業と三井造船(現三井E&Sホールディングス)の経営統合が破談になって以来、無風状態が続いたため、世界規模の競争から、完全に取り残されてしまった。今回の国内1位と2位の連合で、「造船の再編が始まる」とみる関係者は多い。重工系の代表格である三菱重工業をはじめ大手は造船事業の縮小を進めている。

 造船専業は、今治造船、大島造船所(長崎県西海市)、常石造船(広島県福山市)など。いずれも独立系だ。造船専業の瀬戸内の企業も危機感を募らせており、1、2位連合に加わることになるかもしれない。そうなれば、文字通り、“オールジャパン”の造船会社が誕生する。

(文=編集部)

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