新型コロナウイルスの感染拡大によって、富士フイルムホールディングス(HD)がインフルエンザ治療薬として開発したアビガンへの注目が高まっている。かつて同社は、写真フイルムメーカーとして米イーストマン・コダックとシェアを争った。その富士フイルムHDが、今、大変身に成功して医療・ヘルスケア企業として成長している。
一方、同社のライバルであったコダックは、写真フイルムの生産という枠から経営の発想を広げることができず経営破たんした。まさに企業の栄枯盛衰を目の当たりに見る思いがする。
両社の分岐点になったのは、企業が環境の変化に対応するスタンスだ。富士フイルムHDは、思い切って医薬品を手掛けるようになった。一方のコダックは写真フイルムに固執した。そこに両社の違いが鮮明に出た。
経営にとって最も重要なファクターは、いかに環境変化に対応できるかだ。その中で、経営者の意思決定は重要だ。2000年代に入り、世界の写真フイルム市場は急速に縮小した。富士フイルムHDのトップはフイルム事業ではじり貧に陥ると危機感を強めた。フイルム技術の応用を目指し、磁気テープや記録媒体、複合機など光学技術が応用できる分野に進出した。なかでも、同社は医療・ヘルスケア分野において長期的に需要が見込めると判断し、経営資源を再配分している。
コロナショックを境に、世界経済はメガチェンジと呼ぶべき大きな変化に直面している。企業が長期の成長、存続を目指すうえで、同社の変革から学ぶことは多い。
コロナ禍で明らかになる富士フイルムの実力
コロナショックの発生によって、富士フイルムHDの実力が明らかになったといえる。2020年3月期、純利益は前年度から9%減だった。オフィス関連事業などを手掛ける競合企業と比較した場合、同社の収益の落ち込み方は相対的に小さい。
それを支えたのが、ヘルスケア関連事業だ。また、他の事業における構造改革も収益を支えた。ここから示唆されることは、企業にとってコア・コンピタンス(企業の競争力を支える中核となる要素)を明確に認識し、それを活かして成長期待の高い分野に進出することの重要性だ。
富士フイルムHDのコア・コンピタンスの一つに、色再現技術がある。例えば、カラー写真の場合、私たちが肉眼で認識した色彩が鮮明に写真上で再現されなければならない。そのために、同社はフイルムだけでなく、レンズの開発など画像を処理する技術を磨いた。
同時に、環境は変化する。特定の技術を用いて、特定のモノなどを生産することで企業の長期存続が実現できるわけではない。富士フイルムHDの場合、デジタル化の脅威への対応が求められた。デジタルカメラ、スマートフォンが普及し、写真フイルム需要は低下したからだ。
この変化に対して、富士フイルムHDは古森重隆現会長の指揮の下、徹底した改革を進めた。その取り組みは、次のようにまとめられるだろう。まず、経営者は何が起きているかを冷静に把握し、事業戦略が環境変化に適しているか否かを客観的にとらえた。その結果、フイルム市場が縮小均衡に向かっていることが確認され、同社は長期の(永続的な)視点で自社の技術を生かせる分野を模索した。
その一つが、医療・ヘルスケアだ。いつの時代も、人々が健康を維持するためにより良い効果のある医薬品は欠かせない。早期の治療を行うために、CTやMRIなど画像診断装置の重要性も高まる。この認識の下、富士フイルムHDは関連分野に経営資源を再配分した。それが、画像関連の技術力と医療分野などの新しい結合(イノベーション)を支え、富士フイルムはフイルムメーカーからの飛躍を遂げた。
今、起きている世界経済のメガチェンジ
さらに、新型コロナウイルスの感染拡大によって、世界全体でさまざまなメガチェンジが急速に進んでいる。それは、富士フイルムHDが医療・ヘルスケア企業としての競争力を高める重要なチャンスになり得る。
メガチェンジの一つとして、世界全体で命を守るための医薬品開発の重要性の高まりがある。端的に言えば、経済の全面的な再開に、効果のあるワクチンや医薬品が不可欠だ。米連邦準備理事会(FRB)のパウエル議長は、経済の先行きはワクチン開発に左右されると発言している。ワクチン開発の分野では、米中英などを中心に競争が熾烈化している。英国では産学連携に加え、1000人を超えるボランティアの協力を得て治験が進んでいる。この分野において、日本は世界的な対応に遅れをとっているといわざるを得ない。
この状況下、富士フイルムHDへの社会的な期待は高まっている。同社のアビガンに関しては、中国にてジェネリック医薬品の治療効果が確認され、国内での治験も進んでいる。また、PCR検査体制の強化においても、富士フイルムHDはスピーディーに対応している。同社は全自動の遺伝子解析装置に対応した新型コロナウイルス検出試薬を実用化した。これによって、検査にかかる時間は最大6時間から最短75分にまで短縮される。医療の現場の負担軽減と社会全体での感染対策を進める上で、同社への社会的な要請が高まっているといってもよい。
また、わが国では期間限定でオンライン診療が解禁された。これまで政府がオンライン上での医療の質を維持できるか慎重な立場をとってきたことを考えると、新しい感染症の拡大には“岩盤”と呼ばれた規制を変えてしまうほどの影響力がある。
オンライン診療を進める上では、富士フイルムHDが注力してきた電子カルテ、画像診断データの管理と分析などのソリューションの重要性が増す。さらには、5G通信技術と画像処理技術などを組み合わせ遠隔手術(オンライン手術)が普及する可能性も高まっている。画像技術と新しい要素の新結合を目指してきた富士フイルムHDの改革は、大きく開花しつつあるように見える。
重要性増すデジタル化への対応
コロナショックの発生によって世界経済の変化のスピードは一段と加速化している。特に、デジタル化が急速に進んでいる。その環境に対応するために、富士フイルムHDは医療・ヘルスケアを事業の核に据え、さらなる成長を目指そうとしている。
その代表的な取り組みが、富士ゼロックスの完全子会社化だ。2018年1月、富士フイルムHDは米ゼロックスの買収を発表した。ただ、株主などからの反対から買収交渉は行き詰まった。昨年11月、富士フイルムHDはゼロックスが保有する株式を取得し、富士ゼロックスを完全子会社化した。
これによって、富士フイルムHDは自社の意思決定の自由度を高めることができる。それは、高度な医療への需要拡大が見込まれるアジア新興国などへの進出、そのために必要な資産の取得(M&A)、さらには迅速な研究開発体制の整備に欠かせない。そうした取り組みが、富士ゼロックスが蓄積してきた強みと、医療・ヘルスケア事業のシナジー効果の発現に大きな役割を果たすだろう。
シナジーが期待される取り組みの一つに医療現場への言語処理技術の応用がある。例えば、医薬品メーカーが新しく認可された医薬品の使用実績を調査する際、効果や副作用などは医師から提供される情報(カルテの情報や記憶)依存している。負担を軽減するために、言語処理技術を用いて医療情報を効率的に管理することの重要性が増している。それは、医療機関の効率的な運営や、医薬品メーカーの負担軽減などに大きな役割を果たすだろう。
コロナショックの発生によって、世界経済は大きく混乱している。その影響は、大恐慌に匹敵する恐れがあると指摘する経済の専門家もいる。今後、企業の収益がさらに減少するだけでなく、財務面への懸念が高まる展開は排除できない。同時に、企業はリスクに対応し、長期にわたって需要が見込まれる分野に進出して成長を実現しなければならない。そうした取り組みを考える上で、自社の強みを磨き、長期の視点でその発揮を目指す富士フイルムHDの経営は示唆に富む。
(文=真壁昭夫/法政大学大学院教授)