フジテレビ・亀山千広社長が視聴率不振と業績悪化の責任を取って退任する。映画事業局長の当時は『踊る大捜査線』シリーズをヒットさせるなど“時代の寵児”ともてはやされた同氏だが、フジの凋落を止めることはできなかった。
「フジが低迷した原因のひとつは『韓国のゴリ押し』にあるといわれていますが、韓国ブーム当時は、他局も“少女時代”や“KARA”といった韓国アイドルをバラエティ番組や歌番組に起用したり、ワイドショーでも好意的に取り扱ったりしていました。
ただ、フジは、それらを嫌悪する視聴者の感情に十分寄り添っていたとはいえず、必要以上に、そして長期にわたって韓国のコンテンツを推してしまったというのが実情でしょう。本来は“時代のノリ”を敏感にとらえ、流行やブームをどこよりも先駆けて番組に反映させてきたはずなのですが、軌道修正がうまくできませんでした。
また、インターネット上の一部のユーザーによって『フジテレビ=親韓』という情報が流布し、その実情や経緯を知らない視聴者にも『フジを見ない空気』が伝染していったものと思われます」(芸能ライター)
どんなにおもしろい番組を放送しようとも、視聴者は局全体に対するイメージや先入観で“視聴意欲”を駆り立てられることも、また逆になくしてしまうこともあるというわけだ。
35年前のTBSは「接待の営業、弱気の編成、アホの制作」
さて、60年以上の日本のテレビ史を振り返ると、フジの凋落は35年前のTBSの失態に酷似しているという事実に突き当たる。それは、フジが局を挙げての大改革に挑み、民放の視聴率トップに立った1982年のことだ。
「反対に、それまで王者だったTBSが初めて民放視聴率2位に甘んじたのですが、当時TBS内には危機感のなさが蔓延していたといわれています。82年に『8時だョ!全員集合』(TBS系)が『オレたちひょうきん族』(フジテレビ系)に初めて視聴率で抜かれたときも、TBSの編成局長は『月刊現代』(講談社)1982年8月号の中で、『はっきりいって内容的にはうちのほうが娯楽番組として質は高いと思う。いまのフジの好調はムードであって、長続きするとは思えない』と楽観視していたほどです。
ちなみに、当時のTBSは、今のフジと同じく民放一の高給取りとしても知られていました。一方で、低迷は止まらないため、営業はスポンサーのご機嫌取りで接待の連続だったといい、当時のTBS関係者の間では『接待の営業、弱気の編成、アホの制作』という言葉が流行していたそうです」(テレビ局関係者)
他局に徐々に視聴者を奪われていったにもかかわらず、対策を講じなかったフジの現状も、危機感の欠如以外の何物でもないだろう。また、『月9』や『めちゃ×2イケてるッ!』といったヒット枠からの大口スポンサー撤退が昨年8月の「日刊ゲンダイ」によって報じられたことがあるが、スポンサー探しに奔走する状況も、当時のTBSと似ているという。
『欽ドン!』を逃したTBSの失態とフジの目利き
そして、当時のTBSとフジを象徴するのが以下の逸話だ。
「81年3月、萩本欽一が『欽ドン!良い子悪い子普通の子』(フジテレビ系)の企画を、最初はフジではなく別の局に持ち込んで好感触を得たのですが、ただ、その編成マンからは『秋からスタートさせる』と言われてしまったそうです。それで萩本としては『今やらないとダメ』とフジに持っていったところ、フジはいきなり1カ月後の4月から枠を空けてくれたというのです。
そのとき、萩本はフジの決断の速さに驚いたといわれており、さらに件の『現代』誌上には『萩本が企画を持ち込んだもののスタートを先延ばしにされた局はTBSではないか』と書かれています」(同)
ちなみに、TBSは『良い子悪い子~』がフジでヒットした翌年、『欽ちゃんの週刊欽曜日』をスタートさせている。
「この『企画を見る目のなさ』は、今のフジにも当てはまるのではないでしょうか。『孤独のグルメ』(テレビ東京系)や倉本聰脚本のドラマ『やすらぎの郷』(テレビ朝日系)は、もともとフジに持ち込まれたものの却下された企画であることが、『週刊ダイヤモンド』(ダイヤモンド社)や『週刊文春』(文藝春秋)で報じられましたが、その後他局で放送されて人気コンテンツとなっています」(同)
目下、フジの制作が陥っている機能不全。それは、TBSが35年前にハマっていた泥沼と似たものを感じさせる。そして、82年以来、TBSは視聴率トップに返り咲いたことは一度もない。まさに「テレビ局版・しくじり先生」の題材になり得そうなエピソードだが、今のフジがこの教訓を聞いても、時すでに遅しなのかもしれない。
(文=編集部)