明けましておめでとうございます。今年もウィーン・フィルハーモニー管弦楽団のニューイヤーコンサートのテレビ中継を心待ちにしていた音楽ファンも多いのではないでしょうか。普段、クラシック音楽を聴かなくても、最高の指揮者、本場のオーケストラが演奏するヨハン・シュトラウス(2世)の音楽を毎年、生中継のテレビ放送で楽しむという方々は多いと思います。
現在、オーストリア政府の方針により、観客を入れてのコンサートが禁止されているために、今年のニューイヤーコンサートは無観客での開催なのは残念ですが、テレビ映像は世界90カ国以上に配信され、日本ではなんとゴールデンタイムの19時過ぎからライブ放送を楽しむことができるのです。
とはいえ、我々日本人の団欒時間に合わせてウィーン・フィルが演奏してくれているわけではありません。偶然にも、現地時間午前11時過ぎにコンサートを始めるために、時差の関係でちょうど最高の時間にぶつかるのです。そんなことがあるからか、オーストリア国外では、特に日本人に強い人気があるコンサートとなっています。例年ならば、日本から飛んできて、お正月の晴れやかな着物に身を包んだたくさんの聴衆が、ホール内で生演奏を楽しんでいるのも有名です。
ちなみに、本拠地で行われる通常のウィーン・フィルのコンサートも、土曜日15時半と日曜日11時の開演です。これには理由があります。ウィーン・フィルは、自分たちでオーケストラをやりたくてやっている、世界唯一の“自主活動のオーケストラ”で、実際にはメンバーの本職はウィーン国立歌劇場管弦楽団員です。夜は本職であるオペラの演奏をしなくてはならず、オーケストラのコンサートは、時間が空いている午前中か昼過ぎにやるしかありません。
今年は歌劇場が閉鎖されているので、元旦に演奏さえすれば、その後は自宅でシャンペンでも開けてゆっくりできるのでしょうが、例年ならば大晦日の午後にニューイヤーコンサートと同じプログラムを演奏し、夜には歌劇場に駆けこんで、恒例のシュトラウスの喜歌劇『こうもり』を演奏します。クタクタになって夜遅く帰っても、翌日の元旦には早起きをして、全世界に生中継されるニューイヤーコンサートを演奏し、夜はまた歌劇場で『こうもり』です。
演奏家は聴衆に楽しんでもらう仕事なので仕方ないのですが、これはウィーン・フィルだけの話ではなく、最近の日本のオーケストラでも三が日をゆっくり休める時代ではなくなっています。たとえば、東京フィルハーモニー交響楽団の恒例のニューイヤーコンサートなどは、1月2日と3日です。オーケストラ団員は、初詣などに向かっている人々と同じ電車に乗って、コンサートホールに向かうことになります。
ヨハン・シュトラウス、アメリカ独立100周年記念事業での報酬は2億円超!
ウィーン・フィルが演奏するヨハン・シュトラウスに話を戻します。彼は1899年に死去したので、元旦にウィーン・フィルが演奏し、全世界で放送されるようになるとは思いもしなかったでしょう。しかも、そもそも彼の音楽はコンサートホールで観客が耳を澄まして聴く音楽ではありませんでした。実際には、当時大流行したウィーンのワルツやポルカ、つまりダンスのための音楽を作曲、演奏していたのです。
当時も、もしかしたら今でも、芸術的価値が高いと思われていないのは残念なことですが、一曲一曲がすばらしい魅力と驚かされる変化を兼ね備えた音楽なのは驚嘆に値します。そして当時のシュトラウスは、一晩に5カ所以上の会場をはしごして演奏しなくてはならないくらい大人気の超売れっ子でした。今ならヘリコプターで移動するほどですが、当時は馬車しかないため、揺れる馬車の車内でも新曲を大急ぎで作曲していたそうです。余談ですが、そのように時間がないにもかかわらず、プレイボーイとしても大忙しだったそうです。
そんなシュトラウスの名声はあっという間に世界中にとどろき、1872年にアメリカ独立100周年記念事業の一環として招かれた際の報酬は、当時としては破格の10万ドル。当時の貨幣価値を現在に置き換えると216万ドル(約2億2400万円)となります。さらにそのなかでも、ボストン平和記念祭のコンサートでは、10万人の聴衆の前で指揮をすることになるくらい大歓迎されたのです。
当時はもちろん音響機器はないので、10万人に聴かせるためにオーケストラと歌手を合わせて2万人の楽団が編成されました。しかし、ほとんどの演奏家や歌手にとって、指揮者のシュトラウスは豆粒ほどの大きさだったはずですし、今のように大型スクリーンで指揮者を映し出すこともできないので、実際には100人の副指揮者がシュトラウスと同時に指揮をして、代表作『美しく青きドナウ』が演奏されたのです。
このとき当のシュトラウスは、「こんな状況で、ちゃんとした演奏をできるわけがない」と心配していました。しかし、もしキャンセルでもしようものなら、一生かかっても払いきれるはずもない違約金が生じます。そこで意を決して指揮を始め、なんとか最後までこぎつけて、10万人の聴衆の大喝采を浴びたのでした。当時のボストンの人口は約25万人なので、なんと市民の4割がシュトラウスの指揮を見たことになります。
日本でもニューイヤーコンサートといえば、ヨハン・シュトラウスのワルツやポルカは欠かせません。僕も1月17日に静岡交響楽団・新春富士ニューイヤーコンサートで、シュトラウスを指揮します(詳細は静岡交響楽団HP参照)。
僕はシュトラウスが大好きです。小学校低学年の時に親にねだって買ってもらったレコードは偶然にも、1939年にニューイヤーコンサートを始めた指揮者クレメンス・クラウスとウィーン・フィルのシュトラウス特集でした。
(文=篠崎靖男/指揮者)