7月、金融庁の森信親長官が異例ともいえる在任3期目に突入しました。森氏在任中の金融行政の目玉はいくつかありますが、そのひとつに、銀行に土地などの担保や保証に頼ってきた融資姿勢の見直しを迫るというものがあります。事業に将来性があっても担保がなかったり、創業から間もなかったりする企業が融資対象から除かれている現状を森氏は「日本型金融排除」と批判し、銀行に目利きの力を高めて将来性のある事業への融資を増やすよう求めているそうです。金融庁は、特に収益性が下がっている地銀に対しては「稼ぐ力」という言葉をキーワードにして、厳しく監督していく姿勢を打ち出しています。
筆者はそうした理想や方向性についてまったく異論はなく、心の底からがんばっていただきたいと思っています。しかしそうした方針がある一方で、まだ3社ではありますが事業承継の受け皿としての活動も行っている筆者が、この半年以内に自分自身で遭遇したり、親しい知人が体験したりした話を聞くにつけ、監督官庁の抱く像と現場の実態との乖離を大きく感じることがありました。
事業承継そのものは(否応がなしに)拡大していく領域ではありますが、個別の事業を見ると成長・拡大傾向にあることはほとんどないという厄介な状況も根底にはあります。今回はそんなエピソード紹介を中心に述べたいと思います。
ケース1:見殺しが行動基準?
筆者は赤字で債務超過の地方企業を自己資金で救済・保有・再生している経験が複数あるために、よく企業の救済の打診を受けます。数カ月前に紹介された会社は、資金ショートが目前に迫ってきている状態にありました。ただし少し見聞きすれば、その原因や対処法は明白で、店舗の人員構成や運営方法を変えるべき状態のまま何も変わらず年月が過ぎていた状態でした。
創業者の孫に当たる経営者にその覚悟が足りなかったといってしまえばそうですが、メインバンクの主導で救済先を探していたため、不思議に思って「銀行としても、どうしてこうなるまで放っておいたのでしょうか?」「今の経営者になってからも融資を追加していますが、途中で方針について議論しなかったのでしょうか?」と尋ねました。すると、途中何回か入れ替わったものの代々の担当者は課題がわかって引き継がれていても、あえて進言することもしなかったそうです。その理由としては、言葉を濁しながらではありますが、「下手に会社に意見を出して、その通りに会社が取り組んだ場合、結果がうまくいかなかったときには、債権の回収に全力で走れなくなってしまう」ことをリスクととらえていたからでした。
もちろん経営判断の責任は経営者にあり、融資をする側に責任はありません。そしてこうした話は10年も15年以上も前からよく聞いてきた話でもあります。将来性があるかどうかわからない事業に対しては、積極融資をしなくてもいいのかもしれませんが、目利き力を身につけるべきという錦の御旗があるのであれば、健全な意見交換はすべきだったのではないでしょうか。