新型「GR 86」大騒ぎへの違和感…トヨタ「もっといいクルマ」の方向性への根本的疑問
4月5日、TOYOTA GAZOO Racingは、SUBARUとのオンライン合同イベントにおいて新型「GR 86」を世界初披露した。
ご存じのとおり、初代「86」は「直感ハンドリングFR」をコンセプトに、提携先のSUBARUとの共同開発車として、2012年に発売した2ドアスポーツクーペである。2代目となる新型も、基本的には同じ流れとして「SUBARU BRZ」と同時に公開されたわけだが、その派手で熱い発表ぶりと、一部メディアの大歓迎な感じが僕にはどうもピンと来ないのである。このモヤモヤは一体何なのか? ちょっと頭を整理してみようと思う。
まず、これは以前クラウンのときにも書いたことだけど、最近のトヨタ自動車がやたらに発する「もっといいクルマ」への疑問である。実は今回の新型の開発に当たっても、2019年にSUBARUとの間で合意された「新たな業務資本提携」のなかで、「もっといいクルマづくりへ共に取り組む」と謳っている。
いや、メーカーが「いいクルマ」を作ることに異論はないけれど、その発信があまりにスポーティ方向に偏っているのが気になるんである。もちろん、今の社長さんがレース好きなのは知っているけど、だからといっていいクルマが「汗をかいて走る」的な発想なのはどうなのかと。
その代表的な例が「GR」ブランドだ。日産自動車の「NISMO」やホンダの「Modulo」など、他社でもスポーティブランドはあるけれど、トヨタがGRにかけるパワーはその比じゃない。たとえば「スープラ」は新型でGRブランドになったし、「ヤリス」もGRバージョン推しが凄まじい。
そうして今回、86もまたGRブランドとなった。けれども、一般のユーザーには縁遠い「GAZOO Racing」などという組織に、これほど注力するのはどうにもバランス感覚を欠いているような気がする。一部メディアや評論家が「GR最高!!」と騒ぐのも違和感いっぱいだ。
内輪受け的な世界からの脱出
もうひとつは、そもそも86なんて車名を付けてしまう感覚自体もどうなのかと。これまたご存じのとおり、86の名は4代目「カローラレビン」「スプリンタートレノ」の形式名から採ったもの。このクルマ自体はグッドデザインで魅力的なクーペだったが、しかし「ハチロク」の名を有名にしたのは漫画での活躍だった。
公道ドリフトを描くその漫画が、一部の走り屋に「神」と崇め立てられるのはいいとして、大メーカーがそのノリで新型車の名前にしてしまう感覚が実に残念なのである。その発想の次元の低さが僕には到底信じられない。
たとえばF1が世界的なイベントであるように、レース自体は社交場にもなるスポーツだけど、日本でいまだ広く認知、普及しないのは、レース=走り屋、ドリフト族といったイメージが一般層への浸透を阻んでいるように思える。実際、国内レース関係者やメディアの言動は、そういう空気を今も醸し出しているのだ。
86という名前を付けたり、GRだGAZOO Racingだとやたら打ち出すのは、それらと同じ次元でクルマを語っている気分が感じられるのである。大メーカーの社長さんが「いいクルマ」として熱く語れば語るほど、だから違和感がますます強くなっていく。
昨年、日産がフェアレディZのプロトタイプを発表したように、メーカーがスポーツカー、スポーティカーをラインナップに揃えるのは魅力的なことだ。けれども、それはイメージリーダーとして、抑制の効いた大人の存在であってほしい。
いや、マツダはすでに「ロードスター」でそれを実践しているから、決して国産メーカーでも難しいことではないのだろう。メーカー、メディアとも、一部のマニアに向けた内輪受け的な世界から、そろそろ脱してはどうかと思うのである。
(文=すぎもと たかよし/サラリーマン自動車ライター)