各地の共通点は、歴史的建造物の保全、電線類の地中化、広告撤去
【小樽市】
まずは運河で有名な小樽市のケースをみてみよう。1994年から2004年まで土地区画整備事業により駅前の中央通の電線類の地中化や広告塔の撤去を進め、08年には歩道橋が撤去された。これにより小樽駅からは海や港を、海側からは山並みや駅を見通すことができる新たな景観軸を創出。一方、市が助成するかたちで歴史的建造物の保全を行い、夜間景観の魅力向上を図るためにスノーキャンドルやオブジェなどを並べる「小樽雪あかりの路」を市民や地元商店街などの協力を得て構築した。
その結果、小樽市の観光入込客数は11年の604万人が13年には711万人に、15年には795万人へと右肩上がりで増え、道外客も11年の167万人から15年には259万人へと増加した。
【弘前市】
藩政時代に行われた町割りの原形が、市のシンボルである岩木山の麓に今も残る弘前市。見事な桜で有名な弘前城は、大掛かりな石垣修理工事の最中で、15年には天守の移動(曳屋)が行われた。旧城下町一帯に社寺や武家屋敷、明治・大正時代の洋風建築物などが重層的に存在する。
市は歴史的建造物の移転・保存に力を注ぐ一方、弘前公園周りの建造物は活用方法を公募し、カフェとして利用。また、岩木山の眺望を確保するために橋の照明灯を移設したり屋外広告物の撤去を行ったりした。
こうした景観の保全・活用の結果、市民の弘前の景観に対する満足度は14年の61.5%から16年には68.4%にアップ。観光客は12年の451万人が16年は459万人と微増だが、外国人宿泊客は12年の3278人から16年には1万2623人と4倍近い増加となった。
【伊勢市】
お伊勢参りで全国に知られる街である。内宮の宇治橋から五十鈴川に沿って続く参宮街道であるおはらい町は、多くの建造物が妻の部分に玄関を設けた「妻入り」となっている特徴的な街並み。そんな街並みに対して住民、行政、企業それぞれの保全・整備活動が一体的に行われてきた。
市は伝統的な建造物の保全・再生のため整備基準を定め、住民に対し修繕などのための資金を低金利で融資。1993年の第61回式年遷宮に向け、無電柱化、石畳化などおはらい町通りの空間を一体的に整備。地元の老舗企業はお蔭参りで賑わった頃の街並みをテーマとする施設(おかげ横丁)を整備した。
その結果、おはらい町の来訪者数は94年の201万人(内宮参拝者数は568万人)から2016年には544万人(同579万人)へと激増。昭和のころは、おはらい町の来訪者は内宮参拝者の20分の1にすぎなかったが、現在は参拝者の大半が訪れるようになった。