また、飛島の当初のお相手は大成建設ではなく、飛島と佐藤工業とハザマの3社の組み合わせだった。飛島のメインバンクは富士、佐藤工業とハザマは第一勧銀だ。富士と第一勧銀は、02年4月1日に発足した、みずほフィナンシャルグループ(FG)のメンバーになったのだから、この3社の統合計画は、みずほ系の準大手ゼネコンの生き残り策といえた。だが、「みずほ建設」構想には第一勧銀が難色を示した。飛島の経営&財務内容に不信感を持っていたからである。今となっては笑い話だが、当時の第一勧銀の役員はこう言った。
「ウチはハザマをピカピカの会社に(変身)させた。なんで佐藤工業と一緒にならなければならないのだ!!」
原因は旧第一銀行系と旧日本勧業銀行系の役員の確執だった。第一と日本勧業が一緒になった第一勧銀は当時、世紀の合併といわれた。
みずほコーポレート銀行(というより旧第一勧銀)は、清水建設をハザマの受け皿にする構想を描いたが、清水建設がウンといわなかった。ハザマは03年、会社を分割して不動産部門を切り離し、青山管財に社名を変更。建設部門として新生・ハザマを設立。この新会社に安藤建設が10%出資することで決着が図られた。
ゼネコンは東日本大震災の復旧工事で一息ついた。にもかかわらず、みずほコーポ銀が”ハザマ処理”を急いだのは、ハザマが鹿島や大成建設などと06年に北アフリカのアルジェリア政府から受注した高速道路建設が大赤字となったからだ。それも単体で100億円規模の損失は免れず、前期(12年3月期)の最終利益が17億円の同社にとっては、このままでは座して死を待つようなものだった。
アルジェリア政府が主導する国家プロジェクトである高速道路工事は、鹿島を筆頭幹事会社とするゼネコンの共同企業体(JV)が5400億円で受注した。工期は06年10月から40カ月の予定だったが、10年1月になっても完成せず、工事の進捗状況は70%台。地盤が軟弱だった上に資機材の調達が難航したことが原因だった。工事の遅れを理由に、完成している部分の代金の支払いをアルジェリア政府が拒否しており、これまでに1000億円以上の未払い金が発生している。
JVへの出資比率は鹿島と大成建設が37.5%、西松建設が15%、ハザマと伊藤忠商事が5%。損失は出資比率に応じて負担する。鹿島は完成工事未収金460億円を計上したが、西松、ハザマなどは決算処理していなかった。アルジェリアの高速道路問題が火を噴く前に、みずほコーポ銀がハザマの抜本的処理に踏み切ったのである。