米連邦捜査局(FBI)は9月27日、2020年犯罪統計報告書を発表した。それによれば、新型コロナウイルスのパンデミックが始まった昨年の殺人件数は2万1570件と前年に比べて29.4%増加した。この数字は1960年代にFBIが犯罪統計記録を作成して以来、最も大幅な増加率だ。殺人事件は米国の主要都市に限ったものではなく、あらゆる地域で広範囲に発生している。
これを報じた米紙ニューヨークタイムズ紙は「殺人事件の顕著な増加は新型コロナウイルスが大流行した時期と一致している。パンデミックが人々の経済的・精神的ストレスを誘発し不安な雰囲気をつくったことで社会的対立と犯罪を煽った」とコメントした。
銃器の販売量が増加したことから、銃による殺人事件が急増している(76%増)。犯人を除く4人以上が死傷した銃乱射事件は全米で昨年611件発生し(一昨年は417件)、今年はそれを上回るペースで起きている(9月17日付CNN)。
FBIのレイ長官は9月22日、連邦議会上院の公聴会で「米国の過激派が各地に広がっている」と警告を発していた。「アフガニスタン政府の崩壊とタリバンによる権力掌握で海外のテロが活気づく」との論調があるが、レイ氏は「まず最初に国内の過激派がこの動きに刺激され、米国内でテロを起こす可能性が高まった」との見解を示した。公聴会に参加した他の政府高官もこれに同調している。
2001年9月11日に発生した同時多発テロ事件後、米国は海外で「テロとの戦い」に注力してきたが、20年経った今、国内の白人至上主義者や極右集団が最大の脅威になっているという皮肉な事態が生じている。
こうした懸念は17年のバージニア州シャーロッツビルで死傷者を出したネオナチの集会の頃から出ていたが、今年1月6日にワシントンDCで起きた連邦議事堂侵入事件で俄然注目されるようになった。新型コロナウイルスのパンデミックによる社会の深刻な混乱がこれに輪をかけていることはいうまでもない。
米国の新型コロナウイルスによる死者数は10月1日に70万人を突破し、スペイン風邪の死者数(67万5000人)を超えた。英オックスフォード大学の調査によれば、新型コロナウイルスのパンデミックで世界各国は第二次世界大戦以降最も大きく平均寿命を下げているが、そのなかで最も大幅に寿命を縮めたのは米国だ。米国男性の平均寿命は2.2歳低下した(女性は1.7歳低下)。世界で最もパンデミックに苦しめられる米国の男性たちは「なぜ自分がこんなひどい仕打ちを受けなければならないのか」と神を恨んだことだろう。世の中の不条理に悩む人たちが、極右主義者らがネットで拡散する「誤った物語」に吸い寄せられていく様を想像するのは難くない。
社会構造の歪み
だが米国で国内テロの脅威が高まる背景には、社会構造の歪みが災いしている。「世界で最も危険な人物は、お金のない孤独な男性であり、私たちはそうした人を大量につくり出している」(9月25日付CNN)。 このように主張するのは、ニューヨーク大学のギャロウエイ教授だ。ギャロウエイ氏は「世界で最も不安定かつ暴力的な社会にはある共通点がある」と指摘する。それは「仕事や学校に所属せず、人間関係に乏しい、人生を悲観している若い男性が多い」ことだ。
米国では最近、「学位のジェンダー格差」が問題になっている。1980年以降、大卒者の数は男性よりも女性のほうが多い傾向が続いていたが、この傾向は直近の5年間で加速し、過去最大となっている(9月25日付クーリエ・ジャポン)。最新のデータによれば、米国の大学に通っている学生の男女比は4:6だ。男女の教育格差はさらに拡大すると言われている。問題なのは白人の男子学生数が減少していることだ。
知識社会が高度化するにつれ、仕事に必要とされる学歴や資格のハードルが上がり、高卒で中産階級の賃金を稼ぐことが至難の業となった。非大卒者は不安定な社会のなかで大きな経済的打撃を受けやすい。結婚相手が見つけづらくなり、地域社会も衰退している。 現在の米国では「学歴による生きがい格差」の弊害が顕著になっているのだ。そのとどのつまりは絶望死だ。
近年米国では薬物や自殺、アルコール中毒などによる死者数が急増して問題になっているが、この「絶望死」の多くを占めているのは、生きがい格差の谷に落ちた非大卒の男性だと言われている。この問題は社会全体で取り組まなければならないのに、助けを必要としている白人男性への支援は乏しいままだ。
社会の勝ち組となった側にも問題がある。大卒者などを中心に形成されている現在のリベラル勢力は、人種差別などに関する議論を一切封じこめ、「正当」な意見しか発言を許さない傾向があるという(9月25日付クーリエ・ジャポン)。リベラル勢力は寛容と選択の自由という価値観を大事してきたはずなのに、現在のリベラル勢力は若い世代ほど言論の自由よりも「正義の人はどこであろうと道徳違反を目にすればとがめる義務がある」という信条が強い。
米国では「政治的な意見の不一致が理由で友情が終わったケースが増加している 」ことが最近の世論調査で明らかになっている(8月1日付ビジネスインサイダー)。負け組たちの「嘆き」を受け止める政治土壌がなくなれば、彼らは暴力的な手段を用いて自らの怒りを表現する以外に方法はない。自らの民主主義の失敗を素直に認め、負け組たちを社会に再び迎え入れない限り、米国で国内テロの脅威がなくなることはないのではないだろうか。
(文=藤和彦/経済産業研究所コンサルティングフェロー)