日産「ノート」が誇大広告すれすれ&内装が昔のゴミ袋みたいでも今、日本で一番売れている理由
人の内面など、赤の他人からは正確にわかるはずもない。だが、もしもその者の居宅を仔細に観察する機会を得たならば、その者の心象風景のようなものがある程度は透けて見えてくるものだ。
その意味で日産自動車「ノート」という、日本で今いちばん売れているクルマのエクステリアおよびインテリアは、「ごく平均的な現代日本人の心象風景」を、ある程度映し出している可能性が高い。
なにせ、とにかく売れている。
日本自動車販売協会連合会(自販連)が毎月発表している「乗用車ブランド通称名別順位」によれば、2019年1月も登録車の販売台数総合1位は、このクルマだった。「2019年も」と書いたのは、2018年の通年総合1位も同様に日産ノートだったからだ。
このクルマの何がそこまで一般大衆を引きつけているのかといえば、「e-POWER」の名称で知られる、効率的な電動パワーユニットである。
EV(電気自動車)というのは、文字どおり電気モーターのみで走行するクルマのことを指し、一般的なハイブリッド車は、ガソリンエンジンとモーターを上手に併用しながら走行する。
それに対してe-POWERは、エンジンは搭載されるものの、それは発電専用であって、駆動には用いられない。そしてエンジンが発電した電力でもってモーターを動かし、そのモーターパワーのみで走るという寸法だ。
それゆえ、e-POWER搭載車はEV同様の「力強い加速とレスポンス」という美点を有しながらも、ピュアEVと違って「電欠」の恐れがない。
そういった特長に対して、日産が「電気自動車のまったく新しいカタチ。」という誇大広告すれすれのコピーを用意し、約180万円~という戦略的な価格で売り出したものだから、「ノートe-POWER」は一気に売れた。「誇大広告すれすれ」と表現したのは、e-POWERはシリーズハイブリッドと呼ばれるべきもので、電気自動車と称するのは若干微妙だからだ。
確かに、ノートe-POWERの電動パワートレインは魅力的であるため、筆者も売れてしかるべきクルマだとは思う。
総合的な運転フィールは、トヨタ自動車製大衆車のように無味無臭というか、ハッキリ言って凡庸だが、前述のとおり電気モーターならではの特性は好ましい。発進の瞬間から大きなトルクが実感できる加速力は、なかなかのものだ。
そして同じく電気モーター車ならではの特性を利用したワンペダルドライビング(アクセルペダルの踏み加減ひとつで、発進から停止までのすべての加減速Gを発生させることができる様)も、スムーズな運転の実現に寄与している。
貧乏くさい内外装
だが、この内外装の貧乏くささは、正直いかんともしがたい。
「貧乏」であるならば、別にいいのだ。すなわち、平均的な収入の範囲内で生きる大衆のための便利で安価な足であることを最重要視するならば、どうしたって内外装の部材は安手のモノにならざるを得ない。それは別に構わないというか、致し方ない“物づくりの摂理”である。
しかし、日産ノートは安手感丸出しにもかかわらず、なぜか部分部分で謎の虚勢を張っている。たとえばそれは、安普請なプラスチック部品があふれるインテリアの中心部分に突如現れる、テカテカとした艶感を伴ったセンターコンソールだ。
日産いわく「高級感あるピアノブラック調」とのことだが、その質感は筆者からすると「半透明の自治体指定ごみ袋が一般的になる前に使われていた真っ黒なゴミ袋」にしか見えない。
「とりあえずテカテカ、キラキラさせときゃいんでしょ? そうすりゃあんたたちは喜ぶんでしょ?」という、古くさい商品企画には閉口するほかないわけだが、問題はそれが「実際に喜ばれている」という事実だ。冒頭の繰り返しになるが、この“昔のゴミ袋のような内装を持つ”クルマこそが、今、日本でいちばん売れている登録車なのだ。
多くの人が、この内装に疑問を抱かないまま、ロードサイドの大型画一的ショッピングモールまで家族で買い物に行き、タッチパネル式の回転寿司店でメシを食い、家に帰る。そして、さしたる不満もないまま床につく。
そういった日常が今、為政者が言う「美しい国、日本」に住む多数派市民の心象風景を形づくっていることは、心に留めておくべきだ。こういったビジネス系サイトを見ながらSNSで高級げなことをつぶやいている人種だけがニッポン人ではないことを、あらためて意識にとめておかねば、ビジネスパーソンとしてのあなたは今後、いろいろと間違うだろう。
(文=伊達軍曹/自動車ジャーナリスト)