化学などの事業を展開する宇部興産は、半導体シリコンウエハーの洗浄などに使われる薬液の生産能力を2倍に引き上げる。それによって、半導体の先端分野での成長を目指す計画という。宇部興産は先端分野での製造技術の強化によって、世界トップクラスの半導体関連部材供給者としての地位を目指そうとしている。
一方、同社は、これから世界全体で加速する脱炭素にも対応しなければならない。自社の製品のライフサイクル全体で排出される温室効果ガスを抑えつつ、より高純度の化学品を生み出す体制を迅速に整備できるか否かが、中長期的な事業展開に大きく影響するだろう。
先行きは楽観できないが、同社の技術力をもってすれば、脱炭素に対応してビジネスチャンスを手に入れることはできるだろう。そのために求められるのが、個々人が集中して新しい化学品の創造に取り組む組織体制の整備だ。宇部興産が事業運営のスピードを高めて、より迅速に、より純度の高い半導体部材を創出することができるかに注目したい。
近年の宇部興産の事業運営の状況
宇部興産が半導体洗浄薬液の生産能力を強化することが報じられた。新しいモノの創造によって生き残りを目指そうとする経営陣の決意は一段と高まっているようだ。それは、同社の中長期的な事業運営に決定的な影響を与える。
リーマンショック後、宇部興産は成長の柱となる事業を確立することが難しかった。2000年代に入ってからの株価推移を確認すると、2007年末の高値が更新されていない。2016年半ばから2017年末にかけては、公共工事の積み増しなど中国の景気対策を背景に同社の成長期待は高まったが、2018年以降は中国経済の減速懸念や米中対立の先鋭化、コロナショックの発生によって株価は不安定に推移している。
その要因として、宇部興産が化学に加えて、建設資材や機械など、どちらかといえば在来分野での事業運営を重視したことがあるだろう。他方で、中国では共産党政権が工場建設用地の提供や産業補助金の支給によって国有・国営企業などの事業運営体制を支援し、中国企業の価格競争力が高まった。その他の新興国でも、企業の技術習得が進んだ。その結果、宇部興産は競争の激化に直面し、持続的に収益率を高めることが難しくなった。その上に、コロナショックが発生し、宇部興産はより強い逆風に直面した。
その状況下、宇部興産は事業構造の転換を進め、長期存続を目指す力を強化しようとしている。その象徴として、宇部興産の祖業の一つに位置づけられるセメント事業の分離がある。それに加えて、同社は商号の変更も発表した。
経営陣は、これまでの発想で事業を運営して収益を獲得することは困難な時代を迎えたとの危機感を強めている。経営陣は退路を断って改革に取り組み、成長期待の高い化学品分野での選択と集中を進めている。その一つとして、高純度の半導体洗浄薬液の生産能力が引き上げられる。また、同社は半導体などの絶縁、保護膜の原材料であるポリイミドの生産能力の引き上げにも着手した。
成長が期待される半導体部材事業
言い換えれば、宇部興産の経営陣は、高付加価値の化学品分野には勝機があると考えているようだ。理論的に考えると、中長期的な成長が期待される分野に経営資源を集中的に再配分して新しいモノやサービスを創出する能力を引き上げることは、企業の成長実現に不可欠だ。
今後、世界経済のデジタル化は一段と加速する。世界各国の社会、企業、家庭にIoT=インターネット・オブ・スィングスの技術が浸透するだろう。具体的に考えると自動車の使い方が変わる。EVシフトなどの電動化に加えて、コネクテッド技術の開発と実用化によって自動車に搭載される半導体の数と種類が増える。スマートフォンなどのITデバイスの小型化とデータ処理速度の向上、メモリ容量の増大も進む。ファクトリー・オートメーションや家事のためのロボット需要も高まるだろう。脱炭素のためにも、消費電力の少ない半導体や、パワーマネジメントを行うチップの需要は増す。ロジック半導体の回路の線幅を小さくする微細化など最先端の半導体の製造技術の重要性は高まりこそすれ、低下することはないだろう。
微細化などのためには、より高純度の半導体関連部材の供給能力が欠かせない。つまり新しい化学品の創造こそが、新しい半導体の開発を可能にする。そこに宇部興産は成長のチャンスを見出し、洗浄薬液などの生産能力を引き上げる。
それに加えて、世界経済全体でゲームチェンジが加速し、新しいモノを生み出す力を持つ企業をめぐる争奪戦が過熱している。半導体の製造分野では台湾積体電路製造(TSMC)によるシェアの拡大が鮮明だ。米国や欧州委員会などTSMCに最先端の半導体工場を建設するよう求め、サプライチェーンの強化を目指している。そのために米欧は補助金政策を重視し始めた。また、自動車分野では、テスラやリヴィアンなどの新興企業が成長している。事業環境の変化が加速する中で宇部興産は微細かつ高純度な化学品の製造技術を強化し、最先端分野での収益力を高めたい。
重要性高まる脱炭素の対応
デジタル化に加えて、宇部興産は脱炭素にも対応しなければならない。鉱業からスタートして宇部興産にとって、脱炭素は組織全体にしみ込んだ発想からの脱却を迫っている。
時間軸を分けて考えると、短期的に、宇部興産が脱炭素に対応するためには再生可能エネルギー導入などのコストを負担しなければならないだろう。わが国ではエネルギー政策の転換が遅れている。そのなかで企業が自力で風力や太陽光などを用いて電力を調達するためには、風車や太陽光パネルの設置が必要だ。既存の生産設備を改修し、温室効果ガスの排出量を減らすためのコストも増えるだろう。コスト増加に対応しつつ事業運営の効率性を高めるために、異業種との提携、さらには関連する技術を持つ企業を買収する重要性も高まる。買収資金を得るために資産売却が増える展開もあるだろう。
中長期的な目線で考えると、脱炭素の加速を背景に宇部興産のビジネスチャンスは増加する可能性が高い。まず、半導体洗浄薬液のような高純度の化学品を生み出す力をもってすれば、同社が脱炭素に活用できる二酸化炭素を吸着する素材や、化学プラントで使われる温室効果ガス回収の装置を開発し、自社内外での活用を目指すことは可能だろう。そうした取り組みの強化によって、宇部興産はデジタル化と脱炭素の両面で競争力を持つ化学品メーカーとして存在感を発揮する可能性がある。このように考えると、新しい需要創出を目指して、宇部興産はさらなるスピード感で事業体制を変革し、新しい取り組みを増やそうとするはずだ。
ただし、急速な事業運営体制の変化は、時として組織に属する人々に不安を与える。組織に動揺が広がることを防ぎつつ成長戦略を実現するためには、まずは半導体の洗浄薬液で世界トップの製造技術を実現するなど、短期間のうちにニッチな分野で成長を実現することが大切だ。成功体験が組織全体に自信を与え、さらなるチャレンジを支える。
今後の展開によっては、さらなる事業運営体制の見直しと改革が必要になることもあるだろう。経営陣があきらめずに改革を貫徹して早期に成長を実現する展開を期待したい。
(文=真壁昭夫)