15年には、病気療養中といわれる父・武雄氏を担ぎ出し、韓国から日本に連れてきてロッテの社内に乗り込み、武雄氏を除く昭夫氏ら全経営陣の退任と自らの復帰を発表した。ただし、取締役会や株主総会の決議を経ていない無効な内容で、このクーデターはあえなく失敗。無効だった人事発令については、「全社員がアクセス可能な社内ネットに掲載することにより、被告社内に相当程度の混乱をもたらすことは、容易に想定されうる」(武雄氏が提起したロッテホールディングス取締役会決議無効確認等請求事件の東京地裁判決文)と、裁判所からもあきれられた。
また、宏之氏は、自身が提起した取締役解任に伴う損害賠償請求事件裁判のなかで、3年あまり(2011年10月~14年12月)にわたって従業員や役員のEメールを自身に不正転送させて“のぞき見”していたことが明らかになった。裁判所は、「ロッテグループ役職員等の電子メールを転送させ、情報を不正に取得していることからすると、コンプライアンス意識も欠如している」(宏之氏が提起した取締役解任に伴う損害賠償請求事件控訴審での東京高裁判決文)と厳しい言葉を投げかけている。
極めつきは2016年、社員を味方につけようとして「上場を目指す」「社員向けのベネフィットプログラムを導入する」などとぶち上げ、本社をはじめ全国の会社・工場の前で社員にチラシを撒いたり、周辺に“街宣車”を周回させて社員の気を引こうとしたが、「むしろ社員は宏之氏を遠ざけるようになった」(ロッテ社員)という。
降って湧いた昭夫氏の身柄拘束
こうした状況下で降って湧いたのが、昭夫氏の韓国での身柄拘束だ。
韓国ソウル地裁は18年2月、韓国ロッテによるパク・クネ前政権時のKスポーツ財団への70億ウォン(約7億円)の寄付が、免税店事業権の再取得のための“暗黙の請託”と認められる、つまり賄賂であったとして懲役2年6カ月の有罪判決となり、昭夫氏は身柄を拘束されたのだ。
身柄拘束を受けて、昭夫氏はロッテの代表取締役を辞任。ロッテの経営体制が急に不透明になった。
ただし、韓国ソウル高裁の控訴審がすぐに行われ、18年10月には、懲役2年6カ月に執行猶予4年が付与され、すぐに釈放された。とはいえ、韓国検察はすぐに控訴しているため、今は最高裁の判断を待つ状況となっている。韓国では、前大統領を繰り返し糾弾することで現政権の支持率アップを狙う政治的側面もあり、裁判の行方が不透明になっているだけでなく、判決が出るまでには数年かかる可能性もあるとみられている。
こうした背景から19年2月、昭夫氏は早期に改革を進めるために代表取締役に復帰した。
日本のロッテにおいては昭夫氏の経営手腕を高く評価する声が多く、経営の正常化をアピールする意味でも、昭夫氏の代表取締役復帰はロッテにとって必須だったということだろう。