新型コロナウイルスの変異株・オミクロン株の拡大で、気が抜けない日々が続く。日常のマスク着用や会話控えめが社会的マナーとなり、以前のように心置きなく外出や遠出が楽しめる状況に戻らない。2020年から始まったコロナ禍での生活が丸2年となった。
すでに多くのメディアで報道されているように、旅行、ホテル、外食といった産業を中心に経営のかじ取りの厳しさが増している。
今回はそうした業界のなかで、「個人経営の人気カフェ」の現在地を紹介したい。2020~21年と繰り返し発令された緊急事態宣言に翻弄されながら、営業や休業を行い、お客と向き合った。どんな信念で店を続けてきたのか。都内2店の事例を紹介しながら考えたい。
老舗カフェは「不変」の手法を貫く
「2021年の秋以降に緊急事態宣言が明けてから、昼間の客足は戻りました。ただ夜の戻りは鈍く、みなさん早めに帰宅されるようです。駅周辺でも閉店した飲食店が目立ちます」
「カフェ・アンセーニュダングル」のオーナー・林義国氏は、こう話す。同店は東京都内の原宿、広尾、自由が丘にある。原宿店の開業は1975年(今年で47年)、広尾店は1979年(同43年)、自由が丘店は1985年(同37年)。昭和・平成・令和と営業を続けてきた。
創業したのも林氏で、現在は基本的に自由が丘店で勤務する。同店では妻の伴枝氏、息子の義裕氏も一緒に働く。3人以外にベテラン従業員もおり、高品質な接客を行う。1984年生まれの義裕氏は、クレジット会社で7年勤務した後、父の背中を追った。
今回の取材も自由が丘店で実施。店の場所は、東急・自由が丘駅前の飲食店が立ち並ぶエリアを抜けた線路脇にある。変化の激しい同駅前にあって、ここには違う空気が流れる。
「長年続けてきた店のやり方は、コロナ禍でも変えていません。看板商品のコーヒーは、ネル(布)ドリップを用い、深煎りで淹れます。コーヒーの種類によっては、その場でコーヒー豆を挽くこともあります。常連客の多くはカウンター席を好まれますね」(同)
店のカウンターは、今では珍しい一枚板だ。以前の取材では「自由が丘に来ると、最後はこの店に来るの。カウンターの分厚い板も好きなのよ」と言う常連女性客の話も聞いた。
コーヒーは濃厚で、苦みとコクのバランスがある味。手づくりのチーズケーキも人気だ。実は持ち帰りもできるが、声高に「テイクアウトできます」を掲げない。これも流儀だ。
土日には新規の若い客層も多い
「アンセーニュダングル」という店名は、フランス語で「角の看板」を意味する。店のコンセプトは、「女性客を意識した、フランスの片田舎の一軒家の内装」。各店の店内は、焦げ茶色の色調で落ち着いた空間なのも共通する。
原宿店はビルの地下にあり、ビル外壁には蔦(つた)が生えている。建築デザイナーの松樹新平氏に依頼してつくった空間は、開業当時「フレンチスタイル」として評判となり、多くの店に影響を与えた。当時は若い女性客で行列だったと聞くが、コロナ前に筆者が訪れた際も盛況で女性客が多かった。今回、緊急事態宣言中の休業時に蔦などを手入れしたという。
店の哲学は不変だが、自由が丘店の客層は少し変わってきた。
「土日は初めて見る若いお客さまが目立ち、ケーキの注文も多いです。当店は高級食器で提供しますが、興味がある人はカップをじっくり見ています。時に『お飲みになったそのカップは5万円するものですよ』と話すと、驚かれます」
3店とも、コーヒーカップや食器に「ロイヤルコペンハーゲン」「ベルナルド」「リチャードジノリ」などの一流品を使う。これも林氏の信念で、「わざわざお越しいただいたお客さまに、おもてなしの意味を込めています」(同)という。
だが、何十年も続くと目新しくなくなった。一方で、セルフカフェになじんだ若い世代には新鮮だ。「若い方には食器や空間も珍しいようで、携帯で写真を撮る人も多いです」。
メディア露出やコラボも行う
自由が丘店はカウンター席、少人数席、大人数席があり、大人数席の中央には新鮮なバラが置かれている。原宿店もそうだが、都内の薔薇専門店「ローズギャラリー」から、当日朝に摘んだばかりのバラが14本届けられる。週に1度ペースで花を取り換えるという。
カジュアルなカフェが主流となった現在、こうした落ち着いた空間や接客は貴重となり、メディアの取材も多い。コラボ企画もあり、「ついこの間、年商200億円のファッションメーカーから『店のロゴが入ったTシャツをつくりたい』と依頼がありました」(同)という。
実は、筆者が初めて原宿店を訪れたのも、テレビ番組のロケだった。原宿の喧騒を離れた場所に残る上質感が印象的で、店内には、この店を愛した歴代のお客の思いも感じた。
長年通い続ける常連客への配慮も欠かさない。店内に流れる音楽は、常連の多い平日の早い時間にはクラシック、そして軽いジャズを流す。
林氏はカウンターでの所作にもこだわり、ここからの景色が好きだという。
「ほかの従業員にも『カウンターでは正統派バーのカウンターマンのように振る舞いなさい』と伝えています。そして少し斜めの姿勢で立ちます。そうすると視野も広がり、カウンターからの死角の場所に座られたお客さまの様子もわかるのです」(同)
「変わらないのも文化」という欧州に学んだ、東京の正統派喫茶店は健在だった。
コロナ禍の前から決めていた「閉店」
一方、人気店のまま2021年12月で閉店した店がある。都内渋谷区にあった「コーヒーハウスニシヤ」だ。閉店は店主の西谷恭兵氏のSNSで告知された(同氏の許可を得て抜粋)。
「コーヒーハウスニシヤは来月の営業をもちまして、閉店することになりました。閉店はコロナ禍に入るずっと前から決めていたことで、閉店の準備に取りかかろうとした矢先コロナ禍に入りました。この期間も含め、激動の8年と2ヶ月でした」(原文ママ)
開業したのは2013年9月で、イタリアのバールやフランスのカフェをモデルに「飲食店の姿をした地域コミュニティの場を提供すること」を目標とした。店内の対面式カウンターやカウンター席はイタリアのバールを意識した。
幼少期からパティシエを目指した西谷氏は、洋菓子店で念願のパティシエ職に就いたが、アレルギー症状となり退職。その後、イタリアンレストランのコック、フレンチカフェのギャルソンを経て「コーヒーハウスニシヤ」を開業する。この間、2004年にはバリスタの技術を競う国内競技会「JBC」(ジャパンバリスタチャンピオンシップ)で準優勝の実績を持つ。豊富な経験をもとにオープンした店だった。
同店のあった場所は、國學院大學や実践女子学園、渋谷図書館にも近い。渋谷駅からは少し離れているが、逆にそのロケーションも人気だった。
「店の哲学」を再構築するため下町に移転
人気店なのに閉店した理由を、同氏はこう語る。
「いちばんの理由は『行列のできるお店』になったことが大きいです。行列ができるほどたくさんのお客さまにご利用いただけたことは大変ありがたく、経営者としてこれ以上の喜びはありません。
ただ、サービスマンとしての私にとって、行列ができることは喜びと苦しみが共存し、一人ひとりのお客さまへ十分なサービスができず、『私の存在意義は何か?』と自問自答を繰り返しながら営業してきました」
行列ができる人気店となった結果、近隣店舗にもお詫びする日があり、日常的に利用する近隣のお客にも「いつも(並んでいて)入れない」店となってしまった。
「地域コミュニティの場を提供」が、「地域の人が使いづらい」店になったという。
渋谷の同店は閉業したが、家主の意向もあって居抜きで「REC COFFEE」(本社・福岡県福岡市)が新店をオープン予定だ。西谷氏とも親交が深い店が「地域の場」を提供する。
さらに今年2月には、都内の台東区寿に移転して「コーヒーカウンターニシヤ」がオープンする予定だ。山の手から下町に場所を移し、店名にカウンターを入れたのは“カウンターマン”にこだわる同氏の思いだろう。
コロナ禍の外食不振は、見方を変えればチャンス
外食産業の一角を占める喫茶業界は、個人経営の店(個人店)も多く、コロナのずっと前から店舗数を減らしてきた。国内の喫茶店数のピークは40年以上前で、1981年は15万4630店だった。それが最新の2016年調査では6万7198店(※)と半分以下になった。
※総務省統計局「事業所統計調査報告書」「経済センサス」を基にした全日本コーヒー協会の資料による。
ただし、店舗数が半減=衰退業種とはいえず、閉店する店も多いが誕生する店が多いのも同業界の特徴だ。ブランド別の店舗数では「スターバックス」や「ドトールコーヒーショップ」のような1000店超の大手チェーンが目立つが、総店舗数の大半は個人店で、日本のカフェ文化は個人経営の店の創意工夫が支えてきた。
コロナ禍での外食不振は、見方を変えればチャンスでもある。
たとえば、個人店にとって手が出なかった繁華街や駅前商店街の家賃相場が下がるケースも多いからだ。コロナ禍の対策でテイクアウトや通販に注力するのも大切だが、大手も個人店も取材では「店に来ていただく」施策を熱く語る。今年の動きを引き続き注視したい。
(文=高井尚之/経済ジャーナリスト・経営コンサルタント)