フラワーショップに行ったところ、花の種類があまりありません。店員に事情を聞いてみると、花の値段が高くなっているだけでなく、品薄になっているそうです。3月前半は小中学校の卒業シーズンで、ただでさえ花の需要が増えるのにもかかわらず、緊迫する世界情勢の影響や、オミクロン株の流行で今年の卒業式が行われるか不明だったことから花農家が生産量を抑えたことも一因だと説明してくれました。
来週にはホワイトデーがあるので、今週末は洋菓子店も大忙しだそうで、やはりどんな時代になっても、贈り物は人気があるのだと思います。
クラシックの作曲家も贈り物をします。それはもちろん、お花やお菓子ではなく、自分の音楽作品を送るわけですが、モーツァルトやベートーヴェンの時代のみならず、現代に至るまで続けられている習慣です。
ベートーヴェン、交響曲は有力者への贈り物?
では、ベートーヴェンはどんな相手に送ったのでしょうか。9つの交響曲を作曲して金字塔を打ち立てたベートーヴェンですから、まずは交響曲を贈った相手を調べてみると、第1番のスヴィーテン男爵から始まり、“ジャジャジャジャーン”でおなじみの第5番『運命』はロプコヴィッツ侯爵とラズモフスキー伯爵の両名に。映画『のだめカンタービレ』で有名な第7番はフリース伯爵、そして『第九』に至っては、なんとプロイセン(現ドイツ)の王、フリードリヒ・ヴィルヘルム3世に贈っています。
なぜか誰にも贈らなかった第8番を除き、すべての交響曲が、当時の有力な王侯貴族の面々に贈られているのです。実は、作曲家が作品を贈る相手というのは、親しい人物にプレゼントといったような温かい話ではなく、援助してくれる有力なパトロンにバランス良くプレゼントするような意味合いがあったのです。
パトロンからすれば、ベートーヴェンに経済的援助をしたり、実際に作品を注文したことに対する名誉あるご褒美ということになります。ベートーヴェンからは、署名が入ったスコア(総譜)を贈られます。とはいえ、画家から絵画をもらうのとは違い、その後の演奏や出版によって得られる著作権は作曲家の手元に残るので、作曲家にとっては一石二鳥の贈り物といえます。
正確にいえば、贈り物ではなく献呈と呼ばれています。献呈とは、目上の人などに差し上げるという意味ですが、現在でも、たとえば米ニューヨーク・フィルハーモニックから作曲依頼を受けて、音楽監督のツヴェーデンが初演の指揮をした際には、「ニューヨーク・フィルとツヴェーデンに献呈する」などとスコアに書き込んだりします。
このように、ベートーヴェンの献呈相手には、それこそウィーンの社交界そのもののような有力貴族たちが揃っていたわけですが、交響曲第3番は驚くべき人物に献呈しようとしています。それは、会ったこともない、当時のフランスの英雄・ナポレオンです。
結局、ナポレオンが自ら皇帝に即位したことに大失望したために、献呈はやめてしまいましたが、曲の内容も当時の啓蒙思想の要素をふんだんに盛り込んだもので、それだけでもナポレオンを彷彿とさせ、曲名も「英雄」と名付けているのです。
もし、実際にナポレオンに献呈できていたら、その後のベートーヴェンの人生はどうなっていたのか、興味深いところです。感動したナポレオンに招かれて、フランスのパリに移住し、ナポレオンのお抱え作曲家としてフランス楽壇に君臨したのち、ナポレオンの失脚とともに、勢いを取り戻した王政復古者たちによって追放されていたかもしれませんし、ナポレオンを賞賛する音楽を書いた作曲家として、ギロチンの露と消えていたかもしれません。
ベートーヴェン、珠玉のピアノ曲はラブレター
そんなベートーヴェンですが、ピアノ曲のような小品の献呈の場合は、利用目的が若干異なります。もちろん、有力貴族や富豪のパトロンへの献呈も行われていますが、女性の心を射止めるためにも使ったといえば、皆さんのイメージするベートーヴェン像とはかなり違ったものとなるに違いありません。
ベートーヴェンのピアノ曲のなかでも特に有名なピアノソナタ第14番『月光』は、30歳のベートーヴェンがピアノを教えていた16歳の少女で、夢中になってしまった伯爵令嬢ジュリエッタに捧げるのです。ベートーヴェン曰く、相思相愛になったそうですが、ベートーヴェンがいくら才能ある前途有望な作曲家であっても、身分の差が2人の間に立ち塞がり、悲恋に終わってしまいます。
ベートーヴェンにはもう1曲、『エリーゼのために』という、誰でも知っているピアノ曲がありますが、エリーゼは中年にさしかかった40歳のベートーヴェンが愛した、当時18歳のテレーゼのことであり、実際に原譜はテレーゼが所有していた書類の中に残されていたのです。
ベートーヴェンは、なんと22歳も年下のテレーゼに求婚までしたとも伝えられていますが、やはり悲恋に終わっています。ピアノソナタ第14番『月光』、ピアノ曲『エリーゼのために』というピアノ曲の珠玉中の珠玉2曲は、2人の若い女性に捧げられたものだったのです。これらがベートーヴェンの音楽ラブレターとして実ることはありませんでしたが、そのおかげで後生の我々は、ベートーヴェンの名曲として今もなお、聴くことができるのです。
献呈する相手によって、作曲家の考えや時代背景が見えてきます。
とりわけ、19世紀末から20世紀初頭にかけて活躍したグスタフ・マーラーの場合は悲痛です。マーラーは指揮者として世界的な大成功を収めていたこともあり、生活のために作曲をする必要はなく、自分の作品を誰にも献呈することがありませんでした。
しかし、ひとつだけ例外があります。それは交響曲第8番『千人の交響曲』です。1910年9月に計1030人の演奏家、声楽家たちで初演された破格の交響曲ですが、妻のアルマに献呈しているのです。
実は初演間近の夏、マーラーはアルマの浮気に気づきます。50歳になり持病による健康の衰えも顕著だったマーラーですが、アルマは当時まだ31歳で、“ウィーンの花”とも言われるほどの美貌を誇っていました。
それまでは貞淑な妻だとばかり思っていたマーラーですが、アルマの4歳下の若さあふれる浮気相手の存在を知り、すっかり慌てふためきます。今までまったく認めていなかった、アルマの若き日に作曲した作品を急に褒めたり、マーラーが自身の最高傑作と考えていた交響曲第8番をアルマに献呈してまで、妻の心を引き留めようと必死になったのです。
マーラー唯一の献呈は、双方が喜びにあふれたものではなかったのです。
(文=篠崎靖男/指揮者)