ほぼ決まりかけていたのは元トヨタ自動車社長で経団連会長を務めた奥田碩氏。本人は前向きだった。元東電会長の平岩外四氏が経団連会長の自分の後任に元トヨタ会長の豊田章一郎氏を指名してくれた恩義もあり、創業家(=章一郎氏)もこの人事を了承していたという。
ところが現役の豊田章男社長が猛反対した。トヨタブランドへの影響を危惧したためといわれているが、理由はもっと単純だ。「章男社長は奥田氏が大嫌いだったから」(トヨタの元役員)である。
経団連の米倉弘昌会長と枝野経産相も仲が悪かった。東電の国有化を巡る対立は泥沼化し、財界は「枝野の下では働かない」ことで足並みを揃えた。
嶋田氏が最後に頼ったのが丹羽宇一郎中国大使である。民主党は政権発足以来、自民党と近い経団連ではなく、経済同友会の人脈に頼ってきた。元伊藤忠商事会長の丹羽氏は同友会で活躍し、民主党の岡田克也・外相(当時、現副総理)の要請で中国大使を引き受けた。
3月上旬、嶋田氏は「検査入院」と偽り極秘に中国を訪れた。丹羽大使に東電会長への就任を依頼するためだった。しかし、丹羽氏から色よい返事は聞かれなかった。
有力経済人からことごとく断られた嶋田氏は、支援機構の運営委員長を務める下河辺和彦氏を”暫定会長”に横滑りさせることにした。経産省の知恵袋は経済・産業界の長老たちに完敗したのである。
仙谷氏の周辺から「現在の財界に土光敏夫はいない」との嘆き節が漏れたのはこのときだ。土光氏は経団連会長を退き、「ようやく楽ができる」と思う間もなく、臨時行政調査会会長に引っ張り出された。最終答申を出して同調査会が解散した後には臨時行政改革推進審議会の会長もやって、国家の再建に命を削った。現代の財界人は小利口になって、危機の時に体を張る土光敏夫氏のようなサムライがいなくなったという嘆きである。
こういう事情もあって東電の再建の前面に支援機構が出てきた。国が支援機構を通じて1兆円を出資して最低でも50%を超える株式を握り大株主になる。今後、東電の再建は支援機構=経産省ペースで進む。国側の代理人を務めるのが、執行役を兼ねる常勤取締役の嶋田氏ということになる。
「嶋田氏は東電へは片道切符と自覚している。発送電分離を主張しているので、分離後の送電会社の社長になるつもりなのではないのか」というのは、経産省の元首脳の見立てである。