3月16日、JRA(日本中央競馬会)の厩務員らが加入している4つの労働組合が、JRAとの賃金改善交渉で合意に至らず、同月18日と19日の競馬でストライキを行う可能性が報じられ、業界内外で話題を集めた。結果的にストライキは行われなかったものの、日本で大規模なストライキが起きかけたことは注目に値するだろう。
一方、世界に目を向けると、フランスでは今年1月に政府が年金の受給開始年齢を現行の62歳から64歳に引き上げる「年金改革案」を発表したところ、労働者たちが一斉に反発。大規模なストライキと暴動が起きるという出来事があった。そこで今回は、労働法に詳しい千葉大学大学院社会科学研究院教授の皆川宏之氏に、日本のストライキ事情の現状や、なぜ日本は海外に比べてストライキがあまり起きないのかについて解説してもらった。
労働者の権利を守る最後の砦がストライキ
日本におけるストライキとはどういったものを指すものだろうか。
「日本国憲法第28条で、労働者には正当な権利として『団結権』『団体交渉権』『団体行動権』という3つの権利が認められています。まず団結権ですが、これは簡単にいうと、労働組合を作り、それに加入できる権利のこと。次の団体交渉権は、労働組合が雇用企業と労働条件などについて団体交渉をする権利を指します。そして、最後の団体行動権は、労働者が団結して労働条件の実現などのために行動する権利のことで、その1つに争議行為をする権利があり、なかでも中心となるのがストライキの権利になります。こうしたストライキをする権利は、戦後の日本国憲法誕生時から今日まで続くものとなっているのです」(皆川氏)
こうしたストライキが起きると、当然企業としては業務が停滞するなどして損害が出るわけだが、正当なものであればストライキを起こして罪に問われることはないという。
「正当なストライキは、刑事上も民事上も免責扱いになるからです。ただこれはあくまで労働組合を作って抗議した場合ですので、たった一人で業務規定に反するようなことをしてしまうと、職場規律違反となり、懲戒や解雇の理由になってしまいます」(同)
日本におけるストライキ件数の推移を確認しておこう。
「厚生労働省の『労働争議統計調査』では、『労働争議』を争議行為を伴うものと、争議行為を伴わずに労働委員会などが解決に関与したものとを含めて統計を取っているのですが、2021年にはすべての労働争議が612件、そのうちストライキなど争議行為を伴ったものは55件にとどまります。しかし、以前は状況が大きく異なり、遡ってデータを参照すると、高度経済成長期の1960年代から70年代にかけての時期が一番活発で、ピーク時の74年には年間で労働争議が1万462件、半日以上のストライキが5197件も発生していました。ですが、こうしたストライキは特にバブルが崩壊した90年代の後半から減り続けています。リーマン・ショックを経て平均賃金が減少したにもかかわらず、労働者が大きく声を上げることは目に見えて減ってしまっているというわけです」(同)
近年のストライキ件数は70年代の最盛期に比べると、100分の1程度になっていたようだ。なぜ70年代は今とは比べものならないほどストライキが頻発していたのだろうか。
「大きな理由としては、高度経済成長という大きな道を国が突き進むなかで、自動車産業や鉄鋼産業、電機産業や繊維産業などの製造業の比重が高かったことが挙げられます。工場労働が欠かせない産業では、ストライキが起きることで雇用企業が受けるダメージが今より大きかったのです。そのため具体的に待遇が改善されるケースも多く、おのずとストライキの件数も多くなっていたのでしょう」(同)
非正規雇用の増加で減少してしまったストライキ熱
70年代には活況だったストライキ熱が減退している要因は何か。
「理由はいくつかあります。まずいえるのは、90年代になって企業が非正規社員を増やした結果、パートや有期雇用などの非正規の雇用形態で働く人が増えたという要因です。日本における労働組合は、長年、正社員雇用をベースにしていたこともあり、労働争議では現在でも『正社員の労働組合vs.雇用企業』という構図が大半を占めています。そんな正社員主体の労働組合に非正規雇用の労働者が加わると、雇用企業との交渉が複雑化し、ストライキをしようにも、労働条件をどう改善していくかを定めることが難しくなってしまうのです。
なぜなら日本では、正社員と非正規社員の労働条件に大きな格差があり、非正規社員の賃金を上げようとすれば正社員の賃金を減らすことにつながったり、あるいは、正社員の雇用を維持しようとすれば非正規社員の雇用をまず減らしたり、といった具合に労働者の間での“食い合い”が起こってしまうことが考えられます。そのため、一歩間違えると同じ労働組合内での対立にも発展しかねないというわけです。
また、非正規雇用の労働者たちだけで労働組合を結成して、雇用企業を相手取って交渉することも可能ですが、非正規社員は正社員よりも雇用企業内での立場が弱くなりがちで人の入れ替わりも多いため、組合員も集まりづらいもの。そのため仮に非正規雇用の労働者たちでストライキを起こしても企業側に与える影響は小さく、そのため企業は条件をのまず、最後は解雇や雇止めをするといった事態になりやすいのです。企業としては解雇で人員が不足することになっても、また人材派遣会社などを経由して別の非正規雇用の労働者を集めればいいだけの話だからです。非情な物言いに聞こえるかもしれませんが、非正規雇用の労働者がストライキを通じて雇用企業に与えられるダメージというのは、正社員に比べると小さいという現実があるというわけです」(同)
ほかにもストライキ減少の要因はあるという。
「労働争議の大半は賃上げ闘争によるものですが、こうした闘争が行われるのは、雇用企業が交渉に応じられる企業体力があることが前提。つまり、いくら労働者側の主張がまっとうで、ストライキを行えば企業側が大打撃を受けるとしても、企業自体の体力が落ちてしまっていれば、ない袖は振れないわけです。給料を上げてくれる財源の見込みがなければ、争ったところで意味がないでしょう。もちろん各企業で業績は違うので、ストライキは依然有用な権利ですが、それでも現代の日本の労働者心理として『雇ってくれるだけまし』とでもいうべき停滞感が蔓延しているのもまた事実なのです」(同)
産業別の大規模な労働組合がない日本が陥る苦境
視点を海外に向けると、また違った角度から日本のストライキ事情の特殊性が浮かび上がってくる。
「例えば、フランスでは労働者にストライキの権利を保障する法律の解釈が日本よりも広いのです。一企業で解決できないような問題でも、働く人の職業的な条件に関わるのであれば、ストライキを起こしても問題ないというケースが多々あります。
さらに日本では『企業別労働組合vs.使用者』という構図が主ですが、フランスを含む西ヨーロッパでは『産業別の労働組合vs.使用者団体』という構図があるのも大きな違いですね。もちろん西ヨーロッパにも日本と似た企業ごとの従業員代表のしくみはありますが、それに加えて、所属する企業を超えてその業界の労働者全体でストライキが起こせる産業別の労働組合があるので、ストライキは一企業の問題というよりは産業全体の問題と捉えられ、ストライキの効果も産業全体に波及します。ストライキをしても自分の雇用企業だけに影響があるわけではないため、心情的に結束が強くなりやすく、大規模な反発がしばしば起きやすいのでしょう」(同)
ストライキが極端に少なくなってきた日本は今後どうなっていくのだろうか。
「雇用企業側にとっては、ストライキが起きないことに越したことはないので、そういう意味では今の状況は悪くないでしょう。ですが、労働者側にとっては非常に厳しい状況といわざるを得ません。西ヨーロッパのように、産業別の大規模な労働組合があれば、ストライキ中の生活費も組合から援助してもらえますが、日本の場合は小規模な労働組合も多く、資金面で長期戦ができる体力がないという背景も、苦境に拍車をかけてしまっているのでしょう」(同)
日本でも産業別の大規模な労働組合を立ち上げる流れができていけば、ストライキによる抗議もしやすくなっていくのかもしれない。
(文=A4studio、協力=皆川宏之/千葉大学大学院社会科学研究院教授)