昨年10月1日にインボイス制度がスタートして2カ月。予期しない混乱や事務処理量の増加などが伝えられている。公認会計士・税理士の植村拓真氏の顧問先では「混乱というほどの事態には至っていない」というが、想定内の問題と想定外の問題が発生している。想定内の問題は、OCR機能での証憑の読み取りがまだ不正確な部分もあるということだ。例えば、登録番号が手書きであるなどの場合、OCR機能で証憑の情報を正しく読み取れないことが多い。想定外の問題は、インボイス登録番号や税率の記入漏れがあるなど様式の要件を満たしていない証憑が予想以上に多く、確認の手間が生じていること。個人経営の店舗など零細規模の事業者に結構な割合で不備が見られる。
「OCR機能で正確に情報を読み取れなかった場合は目視で証憑を確認し、手動で入力する作業が必要になる。インボイスの要件を満たしているかの判定や、取引先への確認作業なども踏まえると、顧問先の経理担当者の業務時間は平均すると1~2割増えているように感じる。ただ、インボイス制度開始の2年ぐらい前から周知が始まっていたので、登録するかどうかも含めて、その間に徐々に制度が浸透してきたと思う」(植村氏)
都内のある中堅会社の場合、印刷会社や製紙会社に加えて、個人との取引も多い。フリーランスのフォトグラファーなどは半数以上がインボイス登録を済ませたが、企業幹部などに対しては、登録を要請していない。個人事業主の多くは事務スタッフを抱えず経理処理も自分で行っているが、同社は新たな請求書様式でミスが生じないように請求フォーマットを用意して、数字を書き込むだけで済むように取り計らっている。この方式によって、今のところ送付される請求書の処理をめぐって、新たな手間は発生していないという。ただ、その背景にはこんな事情もある。経理担当者は語る。
「本来は、記入されているインボイス登録番号が正確かどうかを国税庁の適格請求書発行事業者公表サイトでチェックしなければならないが、そこまでの手間をかけられないので行っていない」
進まない理解
その一方で、企業に請求書を発行すると、頻繁に問い合わせが入ってくるという。
「請求金額に消費税が発生しないケースもあるが、請求書を送ると『消費税率が書かれていないので、インボイスの要件を満たしていなのではないか?』と問い合わせてくる企業が少なくない。その都度『~なので非課税』と説明している。請求先には大手企業も多いが、消費税についての理解がまだ進んでいないのではないかと思う」(経理担当者)
こうした取引先との請求処理とともに、同社が対応に苦慮しているのは社員の経費支払いである。例えば出張で「ブッキングドットコム」や「アゴダ」など海外企業が運営する宿泊予約サイトを使用しても、海外企業のサイトは、宿泊先が日本国内のホテルでもインボイスに対応していない。あるいはアマゾンで物品を購入する場合、出品者がインボイスに対応していないことがある。そこで国内の予約サイトの使用や、インボイスに対応している出品者からの購入が必要であることを社員に通知している。
しかし漏れもあるという。個人経営の文具店や飲食店で受け取った領収書に登録番号は記入されているが、消費税率と税額が記入されていないなどのケースだ。対処は金額などによって変えている。例えば金額が1000円や2000円程度ならそのまま処理し、あるいは使用した店が出張先なら再発行の依頼と郵送のコストを考えて同様に処理しているが、数万円単位の領収書は社員に差し戻して、店に再発行を依頼している。
IT企業管理職はいう。
「免税事業者の発注先に対しては、支払う報酬に乗せる消費税のパーセンテージを低くできないか交渉するよう社員に指示している企業は多いが、ウチもそう。まず支払先に免税事業者か課税事業者かを確認し、課税事業者なら請求書に登録番号を記載するよう通知したり番号を確認したりする。免税事業者なら一人ひとりにパーセンテージの減額について交渉しなければければならず、その交渉も高圧的だと受け取られると問題になるし、相手によっては『なんでそんなことを要求してくるのか』と反発してくるので、かなり気を使う。発注先の数は少なくないので、インボイスのせいで10月からサービス残業が一日当たり1~2時間は増えている。国の勝手な制度変更で自分のサービス残業が増えるなんて、ちょっとあり得ないというか腹立たしい」
「免税事業者は取引を減らしていく可能性がある」
インボイス制度をめぐっては、個人事業主が免税事業者を継続できるかどうかも焦点だ。植村氏の顧問先には納入先に「免税事業者を継続するのなら値引きをする」と通告された例も決して少なくない。独占禁止法違反の疑義がある行為だが、法令を知ってか知らずか、大手企業にも平然と値引きを要求する例が散見され、さらに従来の価格のまま取引量を徐々に減らされた免税事業者もいるという。値引き要求の相談を受けた植村氏は、どんな助言をしているのか。
「その取引先が事業の全売り上げのうち、どのぐらいの割合を占めているかで判断は変わる。例えば全売り上げの1~2割程度であれば免税事業者を継続し、その取引先については値引き要求に応じる、あるいはその取引先と今後取引をしない形でも事業に大きな影響はないと考えられるが、全売り上げの大部分を占めているのなら、課税事業者に移行したほうが良い旨助言している」
あるサービス企業は免税事業者を2つに区分して対応した。フリーランスの事業者などに対しては全員に文書でインボイス登録を通知したが、あくまで「お願い」にとどめた。
「口頭でのやりとりも含めて免税事業者を継続する方に対して、発注単価の引き下げや発注量の削減をほのめかすようなことは、独占禁止法に反するので一切していない。従来通りの条件で取引を継続している」(サービス企業役員)
大学教授や企業幹部などに対しては、インボイス登録を要請していない。法人化している人は登録しているケースが多いので対象外だが、個人事業主にも要請していない。理由は「その方でないとできない専門性が高い業務を委託しているから。代わりが利かないこと」(同)
2つの区分の違いは、「条件をのめないのなら他の人に発注すればよい」と見なされる代替可能な発注先か、それとも「この人に引き受けてもらわないと困る」という希少性の高い代替不可能な発注先か。その違いである。
おそらく経過措置(23年10月以降3年間は80%、26年10月以降3年間は50%まで適格請求書以外の請求書でも仕入税額控除が認められる)が過ぎれば、高い専門性やスキルを有する個人事業主でない限り、免税事業者の継続はいっそう難しくなっていくのではないのか。ある中堅企業もこんな方針を立てている。
「経過措置が過ぎれば税負担が発生するので、発注単価を下げることはしないが、これまで付き合いのある免税事業者でも取引を減らしていく可能性がある。その事態を想定して、インボイス制度開始以降は、新規の取引についてはインボイス登録を条件にしている」
零細規模の免税事業者のなかには立ち行かなくなり、会社勤めに舞い戻る動きも出てくるだろう。この制度に潜む問題は何なのか。
「インボイス制度をめぐって今起きている問題は、免税事業者を廃止すればクリアになると主張する人もいるが、零細事業主が苦境に陥ることが懸念されるので、それをどうするのかという問題が残る」(植村氏)
「免税事業者を存続させたうえでインボイス制度を導入することに無理があったと思う。免税事業者を廃止しないとインボイス制度の運用がすごく複雑になってしまうが、免税事業者が厳しい状況に追い込まれてしまう。難しい問題だ」(中堅企業役員)
経過措置期間にさまざまな問題が片付くことを望みたい。