(日本経済新聞出版社/月泉博)
年間売上高で8203億円(2011年8月期)、アパレル専門の製造小売業としては世界第5位(10年)の規模を誇るユニクロ(ファーストリテイリング)。
山口県宇部市の小さなメンズファッションショップだった一地方零細企業は、いかにしてグループ売り上げ目標5兆円(20年)、アパレル製造小売世界一の座を狙うまでになったのか?
その成長過程と強さの秘密を徹底分析した『ユニクロ 世界一をつかむ経営 』(日本経済新聞出版社)が7月に発売され、話題になっている。本書の著者で、商業開発ディレクターの月泉博氏に、
「数々の停滞期を乗り越え、国内業界トップの座に上り詰めた理由」
「ユニクロ創業者で社長の、柳井氏の実像」
「国内事業、海外事業、そして柳井“後”の経営体制の行方」
などについて聞いた。
――いきなりですが、ユニクロの柳井正社長については、毀誉褒貶いろいろ言われていますが、どんな人なんでしょうか?
月泉博氏(以下、月泉) 公私混同の「私」がない人ですね。あれだけの資産があるにもかかわらず、私欲がなく、すごく恬淡とした性格だと感じます。経済界との交流もほとんどないですし、ごくごく親しい人と食事に行く程度ですね。酒もタバコもやらないですし。ゴルフだけですね。
しかし、会社の成長・拡大に関しては、すさまじいエネルギーと執念の持ち主です。そのエネルギーと執念はどこから来るのか? 抽象的な言い方ですが、時代の激変の中で、時代の要請が彼を突き動かしているというか、天命のような気がします(笑)。
――その柳井社長は、大学卒業後、大手スーパーのジャスコに入社しましたが、すぐに退職して、しばらく定職に就かない時期がありました。そこから、どのようなきっかけで、ユニクロの前身である小郡商事に入社したのでしょうか?
月泉 柳井氏はジャスコを退職後、今の奥さまとの結婚を考えていたようです。そこで、男性向け衣料品を扱っていた小郡商事を営んでいた父親から、仕事をしていない柳井氏を見かねて「結婚を許すから実家に戻って会社を継げ」と言われて、入社したという経緯があります。ですから、当初柳井氏には「ビジネスをやりたい」という意志が初めからあったわけではなく、成り行きに近かったと思います。しかし、始めてみたら仕事に興味を持ち出したというわけです。
――柳井氏が入社後、以前から小郡商事にいた役員が、次々と辞めていきました。
月泉 ええ。柳井さんは自分の思っていることをズバズバ言うタイプで、古株の人たちにとっては、しゃくに障ったのでしょう。ただ、その当時の会社の経営方針では、「これから大きく成長する」という雰囲気はなかったのではないでしょうか。
急成長の時代