統合の難問として、体面上は「対等」にならざるを得ない点が挙げられるが、例えばみずほフィナンシャルグループは富士銀行、第一勧業銀行、日本興業銀行の3行が対等合併にこだわったことでいまだに旧行の主導権争いが残り、昨年発覚した暴力団融資事件などの問題を生む温床となっている。
肥後銀と鹿銀の場合、預金量は肥後銀が若干上回っているが、本業の儲けを示すコア業務純益はともに79億円で同額(14年9月中間決算)。統合発表後の株式時価総額は、肥後銀が1516億円、鹿銀が1618億円(11月14日現在)で鹿銀のほうが上回る。
両行は「対等」の旗印を掲げることになるが、最初に直面するのが統合比率の問題であり、統合比率でどちらが主導権を握っているかがわかる。経営的に追い詰められていない地銀同士の統合という初のケースを、どう乗り切るのか。全国の地銀はケーススタディとして両行の交渉を注視している。
●「貸さない銀行」
肥後銀といえば、『小説・火ノ国銀行』(如月出版、中村仁著)のモデル銀行として地銀業界では広く知られている。経営破綻した住宅会社の宮本仁之・元社長が2009年末に自費出版したもので、肥後銀の実力者、長野吉彰・常任顧問の世襲経営を告発したものだ。熊本県内の書店では隠れたベストセラーになった。
肥後銀は1879年に第百三十五国土銀行として創業。昭和恐慌で安田銀行に出資を求めたことから、安田財閥の傘下に組み込まれた。戦後再出発した肥後銀の歴代頭取は、安田銀行の経営を引き継いだ富士銀行から送り込まれていたが、長野氏は1984年、同行初のプロパーとして頭取に就任し、85年に東証、大証に上場を果たす。93年に頭取を退任し、後任には2代続いて富士銀出身者が就いたが、長野氏は会長・常任顧問として同行に君臨し続けた。2009年に、16年ぶりの生え抜きとして頭取に就任したのが甲斐隆博氏。長野常任顧問の娘婿であり、世襲経営と批判された。
その肥後銀は「貸さない銀行」と呼ばれており、預貸率(預金量に占める貸付金の割合)は62.3%(14年3月期)と九州地銀平均の73.4%を大きく下回る。このため、しばしば「貸すべきところに貸さないで、地場企業を潰してきた」と非難されることもある。
統合によって肥後銀は「貸さない銀行」の汚名を返上できるか――。さまざまな面で、肥後銀と鹿銀の統合に銀行業界の注目が集まっている。
(文=編集部)