この日本半導体シェアに、4つの半導体業界誌の創刊と休廃刊を書き加えてみると、業界誌の運命は日本半導体産業の盛衰と軌を一にしていることが読み取れる。
半導体業界誌として最も有名だったのは、85年に創刊した「日経マイクロデバイス」(日経BP社)であろう。しかし、10年1月号をもって休刊となった。82年に創刊した「Semiconductor World」(プレスジャーナル)は、途中「Semiconductor FPD World」に名称を変えたが、10年3月に刊行終了となった。90年から産業タイムズ社が隔週で発行していた「半導体産業新聞」は、15年1月から名称を変えて「電子デバイス産業新聞」となり、名称から「半導体」が消えてしまった。
そして「Electronic Journal」も3月で廃刊になることが決まり、日本から紙媒体の半導体業界誌や新聞がすべて消滅する。つまり、半導体業界誌は、日本半導体産業の凋落とともに、消えていくことになってしまった。
ちなみに補足すると、10年1月で休刊となった「日経マイクロデバイス」の内容は、隔週発行の「日経エレクトロニクス」が引き継ぐとしていた。しかし、半導体の記事が散発的になった感は否めなかった。さらに「日経エレクトロニクス」は、15年2月から隔週ではなく月刊になる。これも日本の電機業界の衰退の影響を受けているといえるだろう。
●紙離れも業界誌消滅に拍車をかけた
半導体業界誌の消滅の背後には、このように日本半導体産業の凋落があるが、もう一つ、「紙離れ」という要因もある。図2に、日本の出版販売額と出版社数の推移を示す。日本の高度経済成長とともに、出版販売額も右肩上がりに成長してきた。ところが、96年に2.66兆円でピークアウトすると、その後は急速に低下する。出版社数もほぼ同じ時期の97年に4612社でピークアウトし、減少に転じる。つまり、97年以降、出版社が次々と倒産していくのである。
半導体業界誌の相次ぐ休廃刊は、この出版不況の流れの中で起きた出来事と捉えることができる。つまり、日本半導体産業は88年をピークに凋落し続け、出版業界は96年以降かつて経験したことのない不況に突入した結果、このダブルパンチに見舞われて、半導体業界誌は休廃刊を余儀なくされたといえる。
●出版不況の原因
少し話はそれるが、出版不況の原因についてここで考察しておきたい。問題は、なぜ出版業界が96~97年にピークアウトしたかということである。新聞や雑誌等では、80年代から90年代にかけては、「テレビ等の各種メディアのせいで若者の活字離れが進んだ」「(高齢者を除く)日本の人口減少が原因だ」などの意見が取り沙汰されていた。