“再建途上”三菱自動車の足を引っ張る三菱グループの思惑
ご存じのように、三菱自動車は2000年に発覚したリコール隠し問題が、02年に起きた三菱ふそうトラック・バス製大型車のタイヤ脱落事故もからんで深刻化した。04年にはダイムラー・クライスラー(当時)に資本提携を打ち切られ、営業面だけでなく財務面もピンチに陥った。そこに救いの手を差し伸べたのが三菱グループで、三菱重工業(以下、三菱重工)、三菱商事、東京三菱銀行(当時)など主要企業各社が総額約4400億円の財政支援を行った。
それは、三菱自動車の優先株(A種優先株式)を引き受け、同社に有利な条件で増資に応じて再建を手助けするというもの。それにより三菱重工の出資比率は15%を超えたため、三菱自動車は連結対象会社(持分法適用会社)になり、70年6月に独立するまでの母体、三菱重工の傘下に戻るかたちとなった。
三菱重工にしてみれば、70年に「成人式」を迎えて息子が独立し、88年に上場を果たして親孝行もしてくれたのが、いい年齢をして警察沙汰、裁判沙汰を起こし三菱一族の家名に傷をつけた末、多額の借金(累損)を背負って実家に出戻ってきたようなもの。それでも名門の実家は勘当したりせず、心優しい(?)三菱の親戚たちと一緒にカネを出し、間違いを犯した息子が真人間に生まれ変わって立ち直れるよう、助けてあげていたといえよう。
表面的には美談のように見える04年の優先株引き受けから8年がたち、三菱グループ各社が優先株の普通株転換の権利を行使し始めたということは、世間の冷たい目から守ってくれて助けてくれた実家や親戚たちも、三菱自動車の背中を押して、「そろそろ一人で歩きなさい」と促しているメッセージのように思われる。この先、優先株がすべて普通株に転換されて、三菱重工の連結対象会社を脱したら、それは三菱自動車にとって新たな旅立ち、「第二の成人式」を意味するだろう。
だがそれは、痛みを伴う。
●普通株転換は、希薄化による株価下落を招く
三菱グループによる三菱自動車への支援は、3回にわたり行われた。
第1回A種優先株(当初13万株)を保有したのは、グループの要で「金曜会御三家」と呼ばれる三菱重工、三菱商事、三菱東京UFJ銀行の3社と三菱UFJ信託銀行。第2回(当初3万5000株)を保有したのは東京海上日動火災保険、三菱電機、明治安田生命保険など7社、第3回(当初1000株)を保有したのはJXホールディングス(旧・三菱石油→新日本石油)である。
今年の8月10日に第3回の1000株全部が普通株に転換され、9月10日に第2回で保有されたうちの7900株、10月10日に第1回のうちの4000株と、第2回のうちの5300株が、それぞれ普通株に転換されている。トータルの転換株数は1万8200株で、三菱グループ全体が7月以前に保有していた優先株9万9000株の約18.38%が、8月以降、普通株に転換されたことになる。
優先株は当初、三菱グループ以外にもJPモルガングループ、台湾の中華汽車工業なども引き受けていたが、無配が続いて5%の優先配当がまったく実施されなかったこともあり、こちらは早々と普通株に転換されてしまった。実家でも親戚でもない赤の他人とは、そういうものなのかもしれない。
現在、三菱グループ各社に残っている優先株は8万800株で、14年6月の強制転換期限までまだ1年半以上あるが、11月10日、12月10日の転換状況次第では、普通株転換が完了するスケジュールが早まるかもしれない。今後も、毎月10日の権利行使日の動向は要注意だろう。
三菱自動車は、優先株の株主から要請を受けると、それと交換に普通株の新株を発行して交付しなければならない。その価格(転換価額)は下限が設定されているものの、原則として権利行使日時点の株価に連動し、三菱自動車側に有利になっている。株主側に有利な優先配当も、業績次第で見送りにしてもかまわない。だからこそ「支援」なのである。
優先株を引き取った三菱自動車はそれを消却で処分しているが、普通株の発行済株式数は増える一方で、9月だけで約1.6億株あまり増えて約57億株に達した。そうやって発行済株式数がふくれると、株式の需給バランスが供給過多になり、いわゆる「希薄化」による株価下落を招きかねず、三菱自動車の再建を妨げる恐れがある。