2019年末に発症が確認されて以来、全世界で猛威をふるい続けている新型コロナウイルス感染症(COVID-19)。COVID-19の影響で宝塚歌劇団も他の舞台やイベントなどと同様、公演中止の措置をとっており、2020年4月13日現在、6月末までのすべての公演を中止とする方針である。宝塚グッズを扱う公式ショップ「キャトルレーヴ」も、多くの店舗が6月30日まで休業する予定になった。そして特筆すべき影響は、すでに発表になっているトップスターたちの退団日がいったん白紙になり、リスケジュールされる措置が取られたことだろう(新しい退団日は4月13日時点未定)。
阪神・淡路大震災でサヨナラ公演が中断させられた安寿ミラ(詳細は後述)の退団日変更を除けば、いったん発表した人事が変更になることは宝塚の歴史において異例中の異例である。早いところでは10月11日に雪組トップスターの望海風斗が退団予定だったため、COVID-19の影響で公演ができないまま退団になってしまうのでは……とファンの間では不安が吹き荒れていたが、そうはならないことが正式に決まったことで、腹を据えてCOVID-19と向き合おうと思わせてくれたことはありがたい。
長い歴史を持つ宝塚はこれまでも、その時々の社会状況によってさまざまな影響を受けてきた。宝塚歌劇団の前身である宝塚唱歌隊が結成されたのが1913(大正2)年であるから、まず大きな影響を受けたのは二度の大戦……わけても、日本みずからが戦争の当事国となった第二次世界大戦、太平洋戦争ということになろう。
細川たかしの“厚意”で安寿ミラの卒業公演を執り行う
宝塚の歴史をひもとくと、1934(昭和9)年ごろから戦争を意識した演目が始まり、1940(昭和15)年には横文字タイトルの公演がいっさいなくなる。戦中最後の宝塚大劇場での公演は1944年3月で、「白薔薇のプリンス」と呼ばれた当時の大スター・春日野八千代主演の雪組公演『櫻井の駅』(演出:堀正旗)/『勧進帳』(演出:水田茂)/『翼の決戦』(演出:高木史朗)』である。同年2月に国民向けの「決戦非常措置要綱」が東条英機内閣下で閣議決定され、宝塚大劇場と東京宝塚劇場の閉鎖が決まったからだった。
春日野八千代は2012年に亡くなるまで宝塚に在籍した伝説の男役であるが、戦中当時もトップスターとして人気絶頂期。突然の大劇場閉鎖のニュースにファンはどよめき、公演最終日には劇場から近くの宝塚大橋を超えて隣駅である宝塚南口駅まで当日券を求める列ができたとのエピソードが残されている。終演後もファンが劇場を立ち去ろうとはせず、警官隊が出動するほどの騒ぎになったとか。
当時、歌劇団の生徒たちは、慰問公演で国内各地はもとより、満州、樺太などにまで赴くことになる。こうした第二次世界大戦中の宝塚歌劇団の様子は、『愛と青春の宝塚~恋よりも生命よりも~』(脚本:大石静)というテレビドラマ(2002年、フジテレビ系)および舞台(2008年、新宿コマ劇場ほか)にてつまびらかに描写されている。決して華やかではないモンペ姿でも、たくましくあきらめないタカラジェンヌの生きざまに勇気づけられる。
公演中止にまでいたった続いての大きな出来事としては、1995年1月17日の阪神・淡路大震災が挙げられよう。まさに被災地の一部となった宝塚大劇場はその2年前に新築されたばかりであったが、スプリンクラーが作動し劇場は水浸しになり、衣装を保管していた倉庫も水浸しになるなど壊滅的な被害を受けた。震災当日、宝塚大劇場は花組トップスター・安寿ミラのサヨナラ公演『哀しみのコルドバ』(演出:柴田侑宏)/メガ・ヴィジョン』(演出:三木章雄)』の公演中であったが、17日以降の公演は中止に。その後2月17日から予定されていた天海祐希主演の月組公演『ハードボイルドエッグ(演出:正塚晴彦)/EXOTICA!(演出:酒井澄夫)』は全公演中止になった(6月2日からの東京公演は上演)。
安寿ミラのサヨナラ公演は、大阪・梅田の劇場・飛天(現・梅田芸術劇場)で3月に一カ月間公演を行う予定だった演歌歌手・細川たかしの厚意でスケジュールの半分を譲り受け、公演の続きを劇場・飛天にて行った。そして5月4日と5日に、奇跡的な速さで復興を遂げた宝塚大劇場で安寿のサヨナラショーのみが行われたのだった。阪神・淡路震災時には宝塚のOGらが東京等でチャリティーコンサートを行い、また安寿の大劇場でのサヨナラショー実施についてファンが全国で署名活動を行うなど、まだ今ほどインターネット環境も整っていない時代に人と人のつながりが早期復興を支えたともいえよう。
また宝塚歌劇団の機関誌である「歌劇」の1995年2月号は異常に薄い状態で発行された。宝塚歌劇団の生徒(タカラジェンヌ)が執筆する原稿が落ちてしまったりなど、異常事態がひしひしと伝わる『歌劇 2月号』だったが、それでも被災地でよくぞ発行したともいえる。その次の3月号は厚さはいつも通りだったが、生徒の執筆するコーナーには、「震災発生時、私はこうしていた」などと生々しく震災の様子が綴られており、東京出身の生徒たちが実家に被災するため、宝塚市内から歩いて伊丹空港まで歩いたという内容もあった。そうした記事からもたくましく、絶望したい状況でも前に進み続ける宝塚の生徒たちの力強さがひしひしと感じられる。また宝塚市内在住の当時5年目の男役スター・汐美真帆が、稽古が再開するまでの間、市のボランティアとして働いていたことも後日ニュースで取り上げられ話題になった。
東日本大震災発生時刻、宝塚は幕間だった
そしてまだ我々の記憶に焼き付いている2011年3月11日。東日本大震災発症時、東京宝塚劇場は雪組のトップスター・音月桂のお披露目公演『ロミオとジュリエット(演出:小池修一郎)』の公演中、しかし不幸中の幸いというべきか、震災発生時刻の14時46分の頃は、13時30分からの公演の幕間だった。そのこともあってか人的被害こそなかったものの、もちろん第二幕は中止に。同日はその後、公共交通機関がストップしてしまったため、観客は翌9時までそのまま劇場に留まることに。また、宝塚歌劇がしばしば使用する日本青年館も震災で破損したために、3月26日から予定されていた大空祐飛主演の宙組公演『ヴァレンチノ(主演:小池修一郎)』も中止になった。
震災後しばらくは、大災害のあとに舞台を上演するなど不謹慎ではないか、ましてや原発事故による電力不足のなか多量の電力を使う歌劇を上演するなどいかがなものか……といった“自粛モード”も強かった。そこに賛否両論はあったものの、雪組公演は13日から公演を再開、雪組公演はチャリティー公演となり、千秋楽を迎えたのだった(17日18時30分からの公演は、国土交通省からの要請で中止)。
その後3月25日から東京宝塚劇場で上演された花組公演は、トップスター・真飛聖のサヨナラ公演『愛のプレリュード(演出:鈴木圭)/Le Paradis!!(演出:藤井大介)』であったが、生徒の提案により、終演後に生徒みずからがロビーで募金箱を持ち募金活動が行われていた。同時期、宝塚大劇場でも同様にロビーで生徒による募金活動が行われていたという。
2019年、くしくも3月11日に宝塚大劇場を卒業することになった花組のトップ娘役・仙名彩世は宮城県名取市出身。震災当時はちょうど休みで帰省しており、自宅近くのショッピングモールで被災したという。退団時の挨拶では、大震災からちょうど8年目に退団することになぞらえて、「各地で追悼の行事が行われている中で、こうして卒業の祝福をいただけることに心の葛藤を感じる」と述べ被災者に思いを寄せた。また一方で、元月組娘役・妃乃あんじは大阪市出身だが、2011年の退団後に東日本大震災の支援活動に参加し、南三陸町復興大使にも就任している。ここにも、困難を感じている人々に寄り添い、また困難をものともせずに立ち向かうタカラジェンヌ魂が垣間見える。
“あごマスク”はやめよう
これまでもさまざまなことがあり、そしてその都度、それを乗り越えてきた宝塚。それは宝塚のファンについても同様だ。現在、SNS上には「#愛してるよ宝塚歌劇団」のハッシュタグでなんとか前向きになろうとするファンのエネルギーがあふれている。宝塚の不朽の名作『風と共に去りぬ(演出:植田紳爾)』から、「明日になれば」という曲を紹介したい。
「夜が来れば 朝は近い 冬が来れば 春は近い 明日になれば 明日になれば 月は沈み 日は昇る」
そう、終わらない夜はないのである。
それから最後に、現役医師の立場から申し上げたい。
マスクを付けたら、絶対に「あごマスク」はやめよう。あごマスクをした後に口にマスクを戻すと、あごに付着しているかもしれないウイルスを口や鼻にくっつけてしまう恐れがある。また、手で眼、鼻、口をむやみにさわらないようにしよう。手に付着しているかもしれないウイルスが眼や鼻、口を介して感染してしまうかもしれないからである。一日でも早く、この夜の時代を終わらせるために。
(文=wojo)
●wojo(ヲジョ)
都内某病院勤務のアラフォー女医。宝塚ファン歴20年で、これまでに宝塚に注いだ“愛”の総額は1000万円以上。医者としての担当は内科、宝塚のほうの担当は月組。
【近況】宝塚OGの多くの方が自身のインスタグラムを開設されていますが、この状態をなんとか明るくしようといつも以上に活性化されているように思います。毎日仕事終わりにまとめてOGの方々のインスタグラムを眺めるのが至福のひと時です。