鈴木亮平が主演を務めるNHK大河ドラマ『西郷どん』の第18回が13日に放送され、平均視聴率は前回より2.4ポイント増の14.4%(関東地区、ビデオリサーチ調べ)だったことがわかった。
月照(尾上菊之助)と心中を図った西郷吉之助(鈴木)は、倒れていたところを大久保正助(瑛太)に発見され奇跡的に生き返る。だが、幕府に追われる身の吉之助が生きていては都合が悪いため、薩摩藩は彼を遠く離れた奄美大島に幽閉することを決めた。島に着いた吉之助は生きる希望をなくしており、島の人々とも打ち解けず、生ける屍のようにただ日々を過ごしていた。
そんなある日、吉之助は島の人々が役人に虐げられている様子を目にし、思わず役人たちに食ってかかる。島の娘・とぅま(二階堂ふみ)は、島の人々が薩摩藩の過酷な支配に苦しんでいる現実を吉之助に話す。島でつくる黒糖はすべて薩摩藩が年貢として取り立てるせいで、島の人々は自分たちが食べる作物をつくる余裕すらなく、貧しい生活を強いられていた--という展開だった。
吉之助の一度目の幽閉生活を描く「奄美大島編」については、正直に言って不安を持っていたが、その予想は良い意味で裏切られた。なんといっても、3週間にわたってロケを敢行したという奄美大島の実写映像は素晴らしく、これまでの陰鬱な展開を吹き飛ばしてくれるようだ。抜けるような青空と澄みわたる海、さとうきび畑を揺らして駆け抜ける風--。画面を通して見るだけでも気持ちが良く、深い悲しみに打ちひしがれた吉之助の心が、この島で解きほぐされていったのも納得がいく。
沖縄出身の二階堂も、気が強い島の娘を好演した。二階堂は性格がキツそうに見えるせいかアンチも少なくないし、筆者自身も好きな女優ではない。だが、今回の役は見るべき価値があると思う。ほかの島人を演じる役者たちにはどうしても“コスプレ感”があるなかで、二階堂のたたずまいはリアルな島の娘そのもの。奄美ことばを巧みに操り、直情的に行動する熱い人物像を生き生きと見せてくれた。普段、二階堂が演じる「気の強い女」はどうしても下品な感じがしてあまり好きではないのだが、今回のとぅま役は素直な感情表現の発露として感じられ、好感が持てた。開放的な奄美大島の環境が役者の演技にも影響を与えたのだろうか。
奄美ことばを標準語に翻訳した字幕が付くのもユニークな演出だった。これには賛否両論あったようだが、ここが薩摩や江戸とは異なる「異世界」であることを視聴者に強烈に印象付ける上で意味があったのではないか。「ユタ」と呼ばれる霊媒師が吉之助について予言したり、とぅまの不思議な能力が暗示されたりする「スピリチュアル演出」もおもしろかった。これが薩摩や江戸だったら違和感だらけだが、奄美大島という閉じた世界の中での出来事であるため、「ここはそういう世界観なんだ」とすんなり納得できる。
これまで「正義」そのものとして描かれ、吉之助にとっても絶対的な存在であった島津斉彬(渡辺謙)について、その陰では苦しんでいる人たちがいたとの視点が提示されたのも良い。吉之助は、斉彬が推し進める研究開発や政界工作は日本のため、民のためになることだと信じてやってきたが、その資金を支えていたのは、島の人々が食うや食わずの生活を強いられながら薩摩に年貢として納めた黒糖の利益であった。
斉彬は民のことを考えていたと話す吉之助に、「私らは民のなかに入っていなかったんだ」と涙を流してつぶやくとぅま。幕末ものにおいて、「絶対的な正義などない」という多面的な視点を持ち込んだことの意義は大きい。幕末を題材にしたドラマはどうしても、幕府側と倒幕側どちらかの視点に立たざるを得ず、一方的にこちらを善、相手方を悪とする場合が多いからだ。だが実際にはどちらの勢力にも大義があり、それなりにひどいこともした。
なかでも、薩摩藩や西郷隆盛は倒幕の際にかなり汚い手を使っており、大河ドラマとしてそれを避けては通れないはずだ。今回、斉彬がもたらした陰の部分に踏み込んだように、もし今後、西郷の闇の部分にも踏み込むことができれば、ドラマに深みが生まれることだろう。
(文=吉川織部/ドラマウォッチャー)