鈴木亮平が主演を務めるNHK大河ドラマ『西郷どん』の第24回「地の果てにて」が24日に放送され、平均視聴率は前回より1.2ポイント下がって12.2%(関東地区、ビデオリサーチ調べ)だったことがわかった。
第24話で描かれたことを要約すると、わずか一行で済む。
「西郷吉之助(鈴木)は沖永良部島に流され、食事にほとんど手を付けずに倒れて運ばれた」
これだけである。前回記事で「第24話以降も期待できる」と書いたばかりなのに、こんな内容の薄い回になってしまってとても残念だ。
西郷の生涯2度目の島流しを描く今話以降は、ドラマ全編を通して重要な位置付けになると予想されていた。人情味にあふれる一方で甘さも目立った西郷が、目的のためには時に手段を選ばない冷徹さを兼ね備えた革命家に変化するきっかけや過程が描かれるのではないかと思われていたからだ。
ところが、実際に今回描かれたのは、成長するどころか、むしろ精神的に後退したような吉之助の姿だった。食事に手を付けなかった理由も、無駄な意地を張っていただけとしか思えない。島の人々はゴーヤや焼き魚を差し入れてくれたのに、代官所が用意した本来の食事である麦と塩しか口にせず、とうとう飢えによる体力低下で死地をさまようこととなったのだ。
島の人に迷惑を掛けられないから藩命に従って筋を通す、というのも理屈としてはわかるが、死んでしまっては元も子もない。そもそも吉之助は大久保一蔵(瑛太)の「必ず島から呼び戻す」との言葉を信じて牢での生活に耐えていたはずだ。ならば、一蔵を信じてなんとしてでも生き延び、薩摩に帰ろうと考えるのが普通だ。「一蔵を信じている」と言っておきながら食事をほとんどとらないのは、行動として矛盾している。
また、自分が倒れたり死んだりしたら、それはそれで島の人たちに迷惑をかけることもわかっていたはず。結果的にその通りの展開になっており、第24話は「吉之助がなんの意味もない意地を張ったせいで事態が悪化しただけ」という話になってしまった。
脚本の中園ミホ氏は、西郷にすぐに生きるだの死ぬだのと言わせるのをやめたほうがいい。「生きて斉彬(渡辺謙)の思いを果たす」と誓ったはずなのに、自分の命を粗末にするような言動があまりにも多く、人生観がまったくわからない。
わからないと言えば、島流しにされた吉之助が「一蔵どんが助けてくれる」と言い続ける神経も正直言って謎だ。一蔵の取り計らいで、ようやく奄美大島への島流しから帰還したのに、島津久光(青木崇高)の神経を逆撫でするような言動ばかり取り、あっという間に再度島流しになっておきながら、どの口が「一蔵が助けてくれる」と言うのか。口利きをしてくれた一蔵に申し訳ないとはこれっぽっちも思わないのだろうか。随分と身勝手な物言いに感じる。
自分勝手な理屈で周囲に迷惑をかけまくる吉之助を描く一方で、倒れて意識が低下した吉之助に流人の川口雪篷(石橋蓮司)が口移しで水を飲ませる謎の場面もあった。川口は今後長く西郷と関わってくる人物だが、汚いおじさん同士の口移しシーンはドラマの進行上まったく必要がなく、なぜこんな場面を入れたのか理解に苦しむ。同じドラマでも『おっさんずラブ』(テレビ朝日系)は大変な人気を集めたが、こちらは視聴者から大不評だったようだ。小手先の変な演出はいらないので、しっかりと人間を描いてほしい。
(文=吉川織部/ドラマウォッチャー)