鈴木亮平が主演を務めるNHK大河ドラマ『西郷どん』の第25回「生かされた命」が1日に放送され、平均視聴率は前回から0.5ポイント増の12.7%(関東地区、ビデオリサーチ調べ)だったことがわかった。
今回は、薩摩藩の未来を大きく変える「生麦事件」と「薩英戦争」が題材になると予告されていたため、期待していた視聴者も多かったのではないだろうか。だが残念ながら、放送後はインターネット上に批判の声があふれた。それは、どちらもまともには描かれず、ほぼ“スルー”されてしまったからだ。
別に、生麦事件を取り上げるからといって、薩摩藩士がイギリス人を殺傷する場面自体の映像が必要だとは思わないが、もう少しその後の動揺や後悔、あせりのようなものを島津久光(青木崇高)や藩士たちを通して描いてほしかった。このドラマは、西郷吉之助(鈴木)や久光を筆頭に、薩摩の武士たちを直情的に行動する人たちとしてステレオタイプに描いているだけに、「いつものように頭に血が上って行動したらとんでもない騒動になってしまった」という構図が明確になればよかったと思う。
事件の報復としてイギリス艦隊が薩摩を攻撃した薩英戦争に至っては、ドラマの中ではいつ始まっていつ終わったのかはっきりわからず、吉之助が受け取った手紙ですでに終結していたことがわかるという演出だったが、これはひどい。
『真田丸』で三谷幸喜氏が「主人公がその場にいなかった、見なかったことは描かない」との方針を徹底してから、『おんな城主 直虎』も『西郷どん』もその例に倣っているようだが、別にこれが唯一正しい演出の手法だと決まっているわけではない。三谷氏は、周囲の動静が主人公らに伝わるまでのタイムラグを脚本に活かしていたため、「大きな事件を描かず、主人公らが後から伝聞で知る」という描写にも意味があったが、『西郷どん』の25話で描かれたのはそれとはまったく違う。はっきり言って、島に流された吉之助が薩英戦争の終結を知るという描写にはストーリー上、なんの意味もない。
むしろ、描かれるべきだったのは、イギリス艦隊と交戦した薩摩藩士たちや久光の動静ではなかったか。決して過激な攘夷論者ではなかった久光が、やむを得ない流れでイギリス艦隊と戦うことになり、被害を受けつつもなんとか撃退した、という流れは人間ドラマとしておもしろいし、藩内にいたであろう過激な攘夷論者たちがイギリス艦隊の新式兵器を目の当たりにし、「攘夷は無理だ」と考えを改める描写があってもよかったのではないか。
生麦事件と薩英戦争という2つの大事件は、当事者たちにとっては薩摩存亡の危機ともいえる出来事で、結果的には、これが後の薩長主導による倒幕につながっていくことになる。この「とんでもないことをやってしまったと思ったら、長い目で見たら結果オーライだった」という“わけのわからなさ”が、幕末の歴史の醍醐味であるのだから、いくら西郷が主人公であるとはいえ、そこは伝わるように描いてほしい。
とはいえ、歴史を描かない分、西郷については十分描かれたのかといえば、それもかなり怪しい。第24話から2話にわたった「沖永良部島編」は、ただただ吉之助が島人たちに尊敬されただけで終わってしまい、「逆境でひと回り人間として大きくなる」「革命家として覚醒する」といった描写は、一切なかった。ただ「1年半、島に流された」という史実をなぞっただけで、ドラマとしては必然性があったとは言いがたい。
流人の川口雪篷(石橋蓮司)が唐突にナポレオンの話をし始め、「革命」という言葉を吉之助に教えるという、取って付けたような展開はあったが、まさかこれで西郷が何かに目覚めたというわけでもあるまい。「革命」と大きく墨で書いた旗を振って吉之助を見送る雪篷を演じた石橋も、「俺、何やってんだろう」と思ったのではないかと気になってしまった。
さて、来週は本編を1回休止し、『西郷どんスペシャル第二弾! ~いざ革命へ! 西郷と4人の男たち~』と題した番宣番組を放送することが予告された。4月に放送された1回目の番宣番組は、役者としての鈴木亮平と渡辺謙に焦点を当てた内容となっていたが、今回は、この後に登場する坂本龍馬ら幕末・明治維新の立役者たちが取り上げられるようだ。少しでも本編の視聴につながる内容であってほしい。
(文=吉川織部/ドラマウォッチャー)