鈴木亮平が主演を務めるNHK大河ドラマ『西郷どん』の第34回「将軍慶喜」が9日に放送され、平均視聴率は前回から1.3ポイント減の11.9%(ビデオリサーチ調べ、関東地区)だったことがわかった。
第34回は、とにかく激しく歴史が動いた。14代将軍の家茂が死んで一橋慶喜(松田翔太)が15代将軍の座に就くも、慶喜の後ろ盾となっていた孝明天皇(中村児太郎)は間もなく崩御。西郷吉之助(鈴木)や大久保一蔵(瑛太)は、この機に乗じて幕府と朝廷を切り離し、一気に幕府を倒そうともくろむ。そこで、岩倉具視(笑福亭鶴瓶)を通じて朝廷に働きかけ、ついに倒幕の密勅を手にする。これで薩摩は幕府を討つ正当性を得たかに見えたが、この動きを察した慶喜は同じ日に大政奉還を宣言。武力討幕を回避するために慶喜が打った起死回生の一手に、西郷らはまんまとしてやられたのだった――という展開だった。
全体的な流れは史実をほぼそのままなぞったものであり、風雲急を告げる幕末のドラマチック感は大いに感じられた。薩摩と慶喜が繰り広げた、いかにして相手の裏をかくかの攻防戦は、史実そのものが十分おもしろいのだから当然といえば当然だ。
親しくしていた孝明天皇の崩御を受けて悲嘆にくれる岩倉に、大久保が「今こそ朝廷と幕府を引き離す好機かと」と進言するシーンも良かった。大河ドラマファンのなかには、2014年の『軍師官兵衛』を思い出した人も多かったようだ。信長が討たれたとの知らせに嘆き悲しむ秀吉(竹中直人)に、岡田准一演じる黒田官兵衛が「好機が訪れましたぞ」と悪そうな顔でささやく名シーンだ。もしかしたら、今回の大久保の台詞は、このシーンのオマージュだったのかもしれない。
その一方で、西郷を正義の人として描いてきた“主人公補整”によって物語に無理が生じていることも指摘しておきたい。『西郷どん』はこれまで、西郷を平和的な人物として描いてきた。なるべく戦争を避け、戦わずに解決する道を探ってきたのだ。その理由は、「諸外国が虎視眈々と日本を狙っている状況下で、もはや日本人同士が争っている場合ではないから」であった。これはもっともな理屈だ。
ところが、第34回で描かれた西郷は、とにかく「武力討幕」にこだわる人間になっていた。大政奉還したのだからもういいじゃないか、と話す坂本龍馬にまで「武をもって徳川を叩き潰さなければ、何も変わらない」と反論する始末。やたらと好戦的である。一応、「徳川は日本を異国に売り渡すつもりだから滅ぼす必要がある」と、もっともらしい理屈は付けている。だが、その根拠は「幕府はフランスに薩摩を与えるつもりらしい」という伝聞情報にすぎない。
しかし、フランスがなぜ「薩摩をよこせ」と言い出したかといえば、そもそも薩摩が幕府に戦争を仕掛けようとしたからである。フランスは幕府を支援する見返りに、薩摩を領土として欲しいと要求したのだ。つまり、薩摩が幕府に敵対する→幕府はフランスに支援を求める→フランスは見返りに薩摩が欲しいと要求する→それを聞いた薩摩は「異国に日本(の一部)を渡すなんてけしからん」と倒幕の意志を固める――という流れだ。どう見ても、元をたどれば薩摩のせいである。
こうして見ると、第34回の西郷は、日本人同士が争って諸外国にスキを与えることなどどうでもよく、「薩摩さえ助かればいい」と考えているようにしか見えない。フランスが欲しがっているのが薩摩以外の土地だった場合は、見て見ぬふりをしそうだ。
筆者は、別に西郷隆盛が好戦的な人物として描かれようと、薩摩の利益は考えても日本全体の利益は考えていなかった人物として描かれようと、ドラマとして筋が通っていておもしろければいいと考えている。史実上、西郷が後にブラック化したことは疑いようもないし、そうならなければ成し遂げられなかったこともあっただろう。だからこそ、もしドラマの前半で西郷を平和主義的な人物として描いたのであれば、後半ではブラック化する理由やその過程をきちんと描くべきだった。今回のような「幕府が薩摩をフランスに渡すと言っているらしいから」では、理由として弱すぎる。
なお、フランスが幕府に薩摩の割譲を要求していたというのは、作り事であるようだ。フィクションを織り交ぜるのは全然かまわないが、どうせ入れるなら、もっと西郷の行動に説得力を持たせるような上手な嘘を練ってほしかった。
さて、龍馬が大政奉還の仕掛け人だったことを知った西郷は、あからさまに「余計なことをしやがって」という態度を見せた。龍馬が次回で暗殺されることはすでに予告されている。流れとしては、西郷が龍馬を暗殺しそうな勢いだが、さすがに西郷を主人公としたドラマでそれはできないだろう。西郷の思いを忖度した誰かが暗殺した――という落としどころが一番しっくりくると思うのだが、果たしてどのように描くのだろうか。
(文=吉川織部/ドラマウォッチャー)