以下は、セ・パ両リーグの過去15年(2000年~14年)における、打撃3部門タイトル獲得選手のいるチームの成績だ。
【打撃3部門タイトル獲得選手のいるチームの成績】(延べ人数/優勝回数/2~3位/4~5位/最下位)
首位打者(30人/6回/11回/11回/2回)
本塁打王(34人/8回/13回/6回/7回)
打点王(31人/10回/12回/6回/3回)
打点を挙げると勝利に直結する可能性が高いためか、打点王を輩出したチームは71%の確率でAクラス(3位以上)になっている。優勝確率も32.3%と打撃3部門の中で最も高い。
一方で、首位打者の所属チームは6回しか優勝していない。確率に直せば30回中6回の20%と、かなり低い数字になっている。逆にBクラスとなる確率は43.3%と、打撃3部門の中で一番高くなっている。必ずしも強いチームからタイトル獲得選手が出るとはいえないのである。
特に、打つたびに数字が増える一方の本塁打や打点と比べ、打率が上下する首位打者は優勝争いをしていないチームの選手に分がある、とデータが示している。なぜなら、スランプの時には欠場して打率を下げないようにしたり、ライバル打者に対しては敬遠して打率を上げさせないことも可能だからだ。優勝争いをしているチームでは、このような個人タイトルを優先する作戦を取ることはない。
また、この15年間では、00年の金城龍彦(横浜ベイスターズ)、04年の嶋重宣(広島東洋カープ)、05年の青木宣親(ヤクルトスワローズ)、12年の角中勝也(千葉ロッテマリーンズ)のように、前年まであまり実績のない選手が首位打者を獲得することが目立っている。これは、若手が台頭する土壌のあるチームであると同時に、制約が少なく自由に打たせた結果と考えることもできるだろう。優勝争いをしていればプレッシャーも大きく、自分を殺したチーム打撃やバントを求められるケースも増えてくるからだ。
タイトル争いに絡む敬遠問題
今シーズン終盤、優勝がなくなったオリックスは、糸井と首位打者争いをしていた銀次(東北楽天ゴールデンイーグルス)に対し、敬遠気味の5打席連続四球で勝負を避けたことで批判を浴びた。このようなタイトル争いにおける敬遠は、過去にもたびたび問題視されてきた。代表的な例をいくつか挙げてみよう。
【タイトル争いで敬遠が問題視された例】
※以下、年度:選手名(チーム名/チーム順位)
1982年:長崎啓二(横浜大洋ホエールズ/5位)、田尾安志(中日ドラゴンズ/1位)…長崎が首位打者
1984年:掛布雅之(阪神タイガース/4位)、宇野勝(中日ドラゴンズ/2位)…ともに本塁打王
1988年:高沢秀昭(ロッテオリオンズ/6位)、松永浩美(阪急ブレーブス/4位)…高沢が首位打者
1991年:古田敦也(ヤクルトスワローズ/3位)、落合博満(中日ドラゴンズ/2位)…古田が首位打者
1996年:山崎武司(中日ドラゴンズ/2位)、松井秀喜(読売ジャイアンツ/1位)…山崎が本塁打王
2012年:角中勝也(千葉ロッテマリーンズ/5位)、中島裕之(埼玉西武ライオンズ/2位)…角中が首位打者
※チーム名は当時
84年10月3日、本塁打数1位タイの掛布と宇野を擁する阪神と中日がマッチアップ。この試合で、2人は揃って5打席連続で敬遠された。特に7回、中日は2死満塁のチャンスで宇野を打席に送ったが、この場面でも阪神は敬遠を選択した。5日にも同じ組み合わせの試合があったが、2人とも5打席連続敬遠され、タイトルを分け合った。
上の表のうち、それ以外の対戦ではタイトル争いで1位の選手(左)がいるチームが、2位の選手(右)を敬遠し、自チームの選手にタイトルを獲得させている。この表をよく見ると、ある傾向があぶり出されてくる。今年のオリックスと楽天のケースを除けば、敬遠したチームのほうが下位なのである。
82年の大洋対中日戦は、中日が勝てば優勝、負ければジャイアンツの優勝という大一番だった。それにもかかわらず、首位打者の懸かった長崎のいる大洋は、1番打者の田尾を5打席連続敬遠。1番打者が全打席出塁した中日の勝利は、ある意味必然だったといえる。8対0という大差で中日は勝利を収め、田尾は首位打者の代わりに優勝の美酒を味わうことになった。
確かに、タイトルを獲得すれば、プロ野球が存続する限り永久に名前が残る勲章だ。しかし、首位打者誕生チームの低い優勝確率や見苦しい敬遠作戦の行方を見ると、個人タイトルよりもチームの優勝に価値がある、とハッキリ言えるのではないか。
(文=編集部)