2011年11月、スマホ向けゲームなどを手掛けるIT企業・株式会社ディー・エヌ・エー(以下、DeNA)が、それまで4年連続最下位だった横浜ベイスターズの株式を取得し、プロ野球球団の運営に乗り出し、世間を騒がせた。当時は「新興ベンチャーが伝統あるプロ野球界に参入し、何をもくろんでいるのか?」という批判的な見方も多かったが、2年目に突入した新生・横浜DeNAベイスターズは今年、セ・リーグ3位(8月1日時点)と成績も大きく上昇し、ファンの間では“奇跡の優勝”の可能性も囁かれるほどになった。
加えて、本拠地・横浜スタジアムの集客数も増加傾向で、万年赤字体質だった経営面でも大きな改善・改革が進んでいる。
そんなDeNAベイスターズの池田純・代表取締役社長に、
「DeNAベイスターズ取得当時の困難や逆境を、どのように乗り越えたのか?」
「DeNAベイスターズ経営再建に向けた大改革の裏側」
「ファンや球場集客数増加に向けた、さまざまな取り組み」
などについて聞いた。
–まず、スポーツビジネスを手掛けられたご経験のなかった池田さんが、球団社長に着任された経緯を教えてください。
池田純氏(以下、池田) DeNAが横浜ベイスターズの株式取得を取締役会で決議した2011年11月当時、私はマーケティング担当の執行役員として、DeNAというブランドの認知度向上に取り組んでいました。マーケティングの観点から、プロ野球はインパクトが大きいということは容易に推測できましたので、DeNAがプロ野球に参入するのであれば「ぜひ責任ある立場を任せてもらいたい」と同社の守安功社長に直訴し、そこで、「では、新球団の社長やってください」となったわけです。
実は、私は横浜生まれ、横浜育ちで、小学生のころは横浜ベイスターズの前身である大洋ホエールズの帽子をかぶって横浜スタジアムに足を運んでいたこともあるほどでした。ですから、横浜ベイスターズの株式取得の話を聞いた時には、何か巡り合わせのようなものを感じました。
–球団経営に対する不安はありませんでしたか?
池田 DeNAが球団の株式を取得した時点では、年間50億円強の売り上げに対して累積赤字が同25億円強もありました。しかも、それまで4年連続最下位ということもあり、年間観客動員数も12球団の最下位で実際は100万人ほどでした。だから、年々赤字は膨らむ。経営に携わったことのある人間の常識からいえば、誰もが早晩“潰れる”会社と判断する経営状態でしょう。でも、潰れないで済んでいたのは親会社の援助があったからです。
そういう球団を経営するわけですが、不安はありませんでした。それよりも、未知の領域に挑戦できる期待のほうが大きかったですね。そもそもDeNAという会社は、ショッピングからスタートして、オークション、モバイル、そしてゲームと未知の領域へ挑戦し事業を拡大してきたわけです。つまり素人集団であっても高い学習能力があれば、未知の分野にも参入可能だということです。野球という素晴らしいスポーツをリスペクトすることは大切なことですが、私は経営をするのであって、野球をするわけではありません。経営が悪化した会社を再生するという意識でした。
–DeNAベイスターズの経営に乗り出した当初、伝統あるプロ野球という世界に、新興企業が参入するという見方をする人も多く、世間やメディアからはさまざまな批判を受けられたかと思いますが、ある程度は予想されていたのでしょうか?
池田 色々な声があることは予想はしていました。ただ、まずベイスターズという会社の経営面や組織面において取り組むべき課題がたくさんあり、それらを迅速かつ着実に実行することに注力していたため、あまりそうした声は気になりませんでした。
–社長に就任され、球団を中からご覧になっていかがでしたか?
池田 球団運営に携わって最初に強く感じたことは、「日本に12しかない球団のうちの1つを任された」という重い責任でした。そういう思いで球団を見た時に、私が一番問題だと思ったのは、これだけの赤字を抱えながら、職員に危機感が感じられないことでした。それから、この会社には普通の会社ならばあるべき、基本的な「仕事の仕組み」がありませんでした。まるで10数年前に時を刻むことをやめてしまったような会社だったのです。
例えば、どの企業でも社員との面談の上で個人個人のミッションやコミットメントなどを設定し、四半期後、半期後あるいは1年後にそれらをレビューし、個人の評価が決まるといった基本的な仕組みがあると思いますが、それすらありませんでした。さらにオフィスのIT化が遅れていて、eメールの文化もない。それで、職員の意識改革を進めるとともに、会社としてあるべき組織と仕組みをつくる、そういう改革が急務だと感じました。
●“普通の”会社への脱皮
–具体的には、どのように改革を進められたのですか?
池田 わずか100人足らずの会社なのに、セクショナリズムが強く、違うセクションの人とは仕事の話をしない。業務上必要最低限な横連携がまったく取れていないという状態でした。そこで、風通しのいい会社にする必要があると思い、社員全員と面談するところからスタートしました。そして、個々人のミッションやコミットメントを明確にしたうえで、会社の考え方や方向性についても話をしました。そういう職員の意識改革を促す一方で、本来あるべきもの、つまり評価体系や人事制度を明確にする改革も並行して進めていきました。