ITビジネス黎明期の1997年に東大生だった笠原氏は、求人情報サイトを始めた。軌道に乗り99年にミクシィの前身、イー・マーキュリーを設立した。ソーシャル・ネットワーキングサービス(SNS)に進出したのは2004年2月。当初は同時期にサービスを開始したグリーに比べて圧倒的に多くの会員を獲得し、日本のSNS業界を牽引した。ミクシィに商号変更後の06年9月に東証マザーズに上場。笠原氏は若きIT起業家として、時の人となった。
その後、ソーシャルゲームの課金ビジネスに軸足を移したグリーやDeNA(ディー・エヌ・エー)が急成長を遂げた。一方、パソコンや携帯電話の広告を収益源としていたミクシィは、リーマン・ショックの影響やスマートフォン(スマホ)の台頭で低迷が続いた。
そして11年11月、ミクシィは事業方針を大きく転換した。SNS上にミクシィゲームを新設してソーシャルゲームに進出。ビジネスモデルを広告モデルから課金モデルに変更した。しかし、ソーシャルゲームに出遅れたことが響き、グリーやDeNAとの業績の格差は広がった。
さらに、SNS世界最大手の米フェイスブックが、10年に日本に上陸してきたことで窮地に立たされた。完全な実名での利用を推進するフェイスブックの本格参入で、ミクシィの利用者がフェイスブックに流れた。
12年5月にはミクシィの身売り話が持ち上がり、経営幹部の離脱が相次いだ。同年5月に副社長の原田明典氏が取締役に退き、取締役の小泉文明氏は退任した。08年1月にNTTドコモから転じた原田氏は代表権を持つ副社長兼COO(最高執行責任者)として、06年12月に大和証券キャピタル・マーケッツから転じた小泉氏はCFO(最高財務責任者)として、笠原社長を支えてきた。
●成功した/失敗したベンチャーの共通点
笠原氏の今回の退任は、ベンチャー起業家の典型例といえる。ベンチャー起業家の成功のカギを握るのは、よき経営パートナーを得られるがどうかにかかっている。アップルを創業したスティーブ・ジョブズ氏は、経営がわかる相棒が欲しいとペプシコ幹部を引き抜いた。結局対立し、ジョブズ氏が会社を追われる羽目になったが、その後、ジョブズ氏は復帰し、アップルは快進撃を遂げた。草創期に相棒がいなければ、今日のアップルがあったかどうかわからない。
マイクロソフトのビル・ゲイツ会長は、オタクだらけの社内に管理者が必要だとして、親友を口説いて入社させた。スティーブ・バルマー現CEO(最高経営責任者)である。バルマー氏がCEOになった00年以降、売上高は3倍、純利益は2倍に増えた。
ITベンチャーは、その技術を評価され、株式の上場を果たす。それでも、他社をしのぐ技術を持ちながら、表舞台から消えていった起業家は少なくない。若き起業家は、すべての分野で突出した才能を持っていると錯覚してワンマン体制を敷く。それで、空中分解してしまったIT企業が数多かった。経営に対する無知を突かれて、反社会的勢力に乗っ取られたIT企業もあった。いずれも、しっかりした経営パートナーとチームを組めなかったことが敗因だ。
ミクシィ後任社長の朝倉祐介氏は、異色の経歴の持ち主だ。中学卒業と同時に競馬の騎手を目指してオーストラリアに渡る。北海道で競走馬育成に従事したのち、東京大学法学部を経て、米マッキンゼー・アンド・カンパニーへ。その後、学生時代に創業したネイキッドテクノロジーに復帰し、同社をミクシィに売却したのに伴い、11年10月にミクシィに入社。
「ギラついたミクシィを取り戻す」
朝倉氏は就任会見でこう述べたが、早くも、次の身売り話が取り沙汰されている。11年2月末にヤフーへの身売り話は実現寸前までいったが、結局、条件面で折り合えず、白紙還元された。12年5月には「笠原氏が保有する55.1%の株式(当時の持ち株比率。13年3月期は53.8%)について、複数企業が買収を打診している」との情報が流れた。この時はDeNAやグリーの名前が挙がった。今回は3度目の正直となるか、今後の動向に注目が集まっている。
(文=編集部)