『ゴースト・オブ・ツシマ』世界的ヒットの勢い…書かずにはいられない圧倒的魅力
一旦は落ち着いたかのように見えて、東京を中心に再燃し始めた新型コロナウイルスの流行。まだまだ厳しい状況が続きそうな2020年ですが、おそらく多くの方は、以前よりもゲームやその話題に触れる機会が多くなったと感じているのではないでしょうか。
旅行や飲食、スポーツ観戦などを思うように楽しめない今、家でも遊べるゲームは、以前と変わらない楽しみ方ができる貴重な娯楽のひとつ。それまでのように空き時間にスマホで遊ぶだけにとどまらず、Nintendo Switch用ソフト『あつまれ どうぶつの森』で友人とのオン会を楽しんでみたり、PlayStation 4用ソフト『ファイナルファンタジーVII リメイク』で懐かしい世界に浸ったりと、久しぶりに家庭用ゲーム機に触れてみた方は多いはずです。
本連載では、今のゲームについて知りたい方や、それをとりまく状況に興味がある方に向けて、その時々の旬な話題を扱っていく予定です。かつてはゲームキッズだったあなたが、またゲームで遊ぶきっかけになってくれれば……もう最高に嬉しいですね。
自己紹介があとになりましたが、筆者は主にゲームなどのエンタメ作品に関する仕事をしているフリーランスで、この20年で紙媒体からウェブ媒体への移り変わりを経験しつつ、レビューや作品紹介などを手がけてきました。またゲームやアニメの公式サイトのテキストや、ちょっと変わったところでは商談会用のパンフレットなど、オフィシャル的なお仕事に関わることもあります。
ビジネスジャーナルさんからの連載のお誘いを機に、長らくゲームに触れてきた筆者が、ゲームに対して感じたことを率直に、各方面に忖度することなく(笑)、お伝えしていこうと思います。
さてここからが本題ですが(やっと!)、今回は時期的に扱いたい作品が多く、だいぶ迷いました。初代から5年、『スプラ2』の発売からちょうど3年が経過した現在も人気が続き、筆者も遊び続けているNintendo Switch用ソフト『スプラトゥーン』シリーズや、笑いや毒たっぷり、でも随所でうるうる来てしまう物語が素晴らしいNintendo Switch用ソフト『ペーパーマリオ オリガミキング』なども頭をよぎりました。
ですが、今回は意欲作を応援する意味もこめて、PlayStation 4用ソフト『ゴースト・オブ・ツシマ』を取り上げさせていただきます。本作は黒澤明の映画『用心棒』『椿三十郎』などに代表される時代劇や、武士道をモチーフにつくられた作品で、精巧かつ雰囲気のあるビジュアルで独自の世界を描き出しています。「発売から3日間で全世界累計実売本数240万本突破」(プレイステーション公式ツイッター 7月24日のツイートより引用)と、世界全体でのセールスも順調なようです。
また日本のゲーマーにも好意的に受け止められ、動画配信サービスやSNSなどでちょっとした話題にもなっています。いったいどんな魅力や凄味のあるゲームなのか、まずはそのストーリーからお伝えしていきましょう。
武士としての境井仁は二度死ぬ
時は文永。膨張を続ける元(モンゴル帝国)は、その矛先をついに日本にも向けます。日本人にとっては北九州が戦場となったイメージが強い元寇ですが、最初の戦いの場は対馬や壱岐などの島々でした。
本作の主人公は、対馬の武士である境井仁(さかい・じん)。彼は叔父であり、後見人でもある地頭・志村とともに島の武士を率い、わずか80騎余りで襲来したモンゴル軍と対峙します。
しかし彼我の戦力差はあまりにも大きなものでした。志村は捕虜となり、仁も傷を負って倒れてしまいます。野盗の女・ゆなに助けられ、一命をとりとめた仁は、今度はモンゴル軍の陣営に単身で乗り込んでいきます。そして奮闘の末、志村の救出まであと一歩のところまで迫ったものの、モンゴル軍の総司令官、コトゥン・ハーンとの戦いに敗北。己の無力さと、武士としての戦い方の限界を痛感することになるのです。
それでも仁は諦めることなく、叔父と対馬をモンゴル軍から奪還するために、孤独な戦いを続けていきます。とはいえ、圧倒的な戦力を持つだけでなく、非道な行いも辞さないモンゴル軍に、正々堂々たる武士の戦い方だけでは勝てないことは明白。仁は敵の虚を突いて葬り去る技や、暗器を使った戦い方を編み出していきます。後の世で、忍者や隠密と呼ばれた者たちのように……。
しかしその苛烈な戦いぶりは民からは「鬼」と恐れられ、武士たちからは「卑怯者」と謗(そし)られることとなります。亡き父や志村によって武士として育てられた仁は、「己」を大きく揺さぶられるのでした。
本作は、文永の役における対馬を舞台にした、オープンワールドタイプのアクションアドベンチャーです。主人公の武士・境井仁は、広大な対馬を自由に探索しつつ、モンゴル軍と戦い、人々の頼み事を聞き届けることで、大きな目的へと向かっていきます。
特筆すべき魅力はいくつもあるのですが、最大の見どころはやはりリアルな殺陣でしょう。剣豪が活躍する時代劇のように、相手の斬撃を弾いて斬り返す、次々に打ち込んでくる複数の相手をいなす、敵の槍をかわしてすれ違いざまに斬りつけるなど、時代劇を見慣れた日本人でも納得の戦いぶりを、プレイヤーの操作によって生み出していくことができるのです。それって鎌倉時代の武士の戦い方として正確なのかって? そんな野暮なことは聞いてはいけません(笑)。
また、見た目が精巧なだけではなく、相手の種類を見て構えを使い分けると有利に戦えるといった、いかにもゲームらしい仕組みも用意されています。
さらに『椿三十郎』のクライマックスを思わせる「一騎打ち」のシステムも秀逸です。敵と対峙する緊張感、間合いを見計らって三船敏郎ばりの斬撃を浴びせる気持ちよさは筆舌に尽くしがたく、機会があるとついつい一騎打ちを挑んでしまいます。
ちなみに、PlayStation 4のコントローラーの中央部にはタッチパッドがあるのですが、戦いのあとこのタッチパッドに触れ、右にドラッグ操作すると、仁は刀を振って血を払い、鞘におさめる動作をします。これが本当にかっこいい!
じつはオートでも納刀してくれるのですが、プレイヤーの操作で行えることに気づいてからは、戦闘後の欠かせない儀式になりしました。ボタンを押すのではなく、モーション操作で行わせるあたりもじつに「わかっている」つくりで、心憎い限りです。
仁はあくまで武士として戦うことを望む人物ですが、物語が進むうちに、それは困難な道であることを理解していきます。ゲームを進めてスキルを習得していくと、彼は刀を使った戦いだけでなく、まるで忍者のような隠密行動や、弓やガジェットを駆使した奇襲など、バラエティ豊かなアクションをこなせるようになるのです。いくら殺陣が良くできていても、ひたすらに刀で戦い続けるのでは飽きも早いわけで、これらはアクセントとしての意味合いも強いのでしょう。
あくまで武士らしい戦いを主とするか。それとも忍者のように手段を択ばず戦うか。そこはプレイヤーに委ねられている部分であり、仁のキャラクター性はプレイヤーの手によって完成するという見方もできます(ストーリーが変わったりはしませんが)。これは映像作品では味わえない、プレイヤーが介入できるゲームならではの楽しみ方です。
ちなみに、この時代の武士のメイン武器は弓や槍といった射程の長い武器で、あくまで刀は護身用や、近接戦闘用のサイドアームといった位置づけでした。「弓馬の道」「海道一の弓取り」といった言葉にもそれは現れています。いわゆる「武士道」も長い太平の世で育っていった倫理観であり、本作における飛び道具なども駆使したなりふり構わない戦い方は、それはそれで当時の武士らしさがあると筆者は感じます。
随所にこめられた愛と敬意を感じる旅
このように、細部にフォーカスすれば濃厚な時代劇らしさ、武士らしさ、日本らしさを感じられる本作ですが、トータルで受ける印象はとてもエキゾチックなものでした。本作の制作を手掛けたのは、ソニー・インタラクティブエンタテインメントのワールドワイド・スタジオの一つ、アメリカのベルビューに拠点を置くサッカーパンチプロダクションズです。
この作品における対馬は、どこを見渡しても美しい色彩にあふれる島で、風は止むことなく吹き続け、輝く粒子を宙に巻き上げていきます。その圧倒的なまでの映像美を目にし続けるうちに、筆者は日本の離島にいるのではなく、和をモチーフにした幻想世界に迷いこんだかのような気分になっていきました。敵がモンゴル軍であることもその一因でしょうか。
本作は日本の中世や、時代劇の世界を再現することを目的としているわけではなく、それらをモチーフにつくられた、より広いプレイヤーを対象にしたエンタテインメント作品であるわけです。それは、ハリウッドでつくられた西部劇と、黒澤映画に影響を受けてつくられたセルジオ・レオーネ監督の『荒野の用心棒』に端を発するマカロニ・ウエスタンの関係とも似ています。
とはいえ、日本の時代劇の考証も作品によってまちまちで、作品がつくられた時代によって左右されるものでもあります。黒澤明の『用心棒』でも仲代達矢演じる卯之助は、着流し姿にスカーフを巻き、リボリバーを手にした大胆なビジュアルでした。筒井康隆原作、岡本喜八監督の『ジャズ大名』のような前衛的な時代劇(時代劇なのか?)もあったりするわけで、『ゴースト・オブ・ツシマ』の「らしさ」の部分だけを取り上げ、その全体としてのエキゾチックな映像美や美術について言及しないのは、それはそれで贔屓の引き倒しのようにも思えるのです。
ちなみに本作には「黒澤モード」なる、映像を白黒映画調にするモードが存在しますが、これを使うと画面の雰囲気が一変します。白黒の映像にプレイヤー自身が思い描く色彩を投影しつつプレイできるようになるため、それまでエキゾチックに感じていた目の前の世界が、よく見知った時代劇の世界に見えてくるのです。
本作の独特の映像美は、関わった多数のクリエイターたちが心血を注いでつくり上げたもののはず。それを惜しげもなく白黒にできてしまうのは、彼らの黒沢映画や時代劇に対するリスペクトが「本物」である証でしょう。筆者もまた、この作品を手掛けたクリエイターたちに、最大限の敬意を払いたくなりました。それは、本作についての記事を書きたくなった理由のひとつでもあります。
『ゴースト・オブ・ツシマ』が描き出した対馬は、ストーリーを終わらせた今も、いつまでもこの島にとどまり、旅を続けたくなるような魅力を備えたものでした。オープンワールド作品の最大の魅力は、プレイヤーが思いのままに旅を楽しめること。その観点から見ても、本作は本当に素晴らしいプロダクトです。
そしてこれほどの作品をプレイしてしまうと、今度は日本人の感性でまとめあげられた、世界を唸らせるクオリティの「侍ゲーム」(カタカナでサムライではなく)を遊んでみたい気持ちも沸き上がってきます。幸い、『ゴースト・オブ・ツシマ』はかなりのヒット作となりそうで、和の世界で侍体験ができるゲームへの需要の高さを証明しました。
PlayStation 5やXbox Series Xといった次世代機の発売もいよいよ数カ月後に迫ってきたわけで、それらが普及した近い将来、そんな傑作をプレイできることを期待しつつ、本稿を締めくくらせていただきます。
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