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関東の巨大組織、住吉会が新体制を発足、関西では名門博徒が盃直し

文=山口組問題特別取材班
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関東の巨大組織、住吉会が新体制を発足、関西では名門博徒が盃直しの画像1
2月に親戚関係となった住吉会と道仁会による挨拶状

 ヤクザ組織をシノギという面から大きく分ければ、「博徒」と「的屋(テキヤ)」になるだろう。的屋は露天商といった商いを行い、博徒は博打で生計を立てるのだ。

 「とはいっても、それは一昔前のことで、かつての博徒や的屋は、いまや大手組織に加入したり、吸収されたりして、複合的に生業をする組織構成に変わってきている。ただそれでも、独立独歩の組織形態のまま、テキヤだったり、博徒だったりといった系統を根強く受け継ぐ組織が存在している。そうった点では、今回、九代目組長の引退により代替わりした大阪を拠点とする酒梅組は、今でも生粋の博徒といわれている組織だ」(某組織幹部)

 六代目山口組が分裂した際、神戸山口組との関係を強めた団体が複数あった。その中のひとつが酒梅組だったと見られていた。現に先代である九代目組長は、頻繁に神戸山口組の関係施設に姿を表すなどして、同団体を支持しているかのような動きを見せていた。しかし、神戸山口組の組織力の低下に伴うかのように、そうした動きにも翳りを見せていたと関係者は話す。

「先代の吉村光男総裁と神戸山口組の井上邦雄組長は昵懇の間柄だった。ただ酒梅組全体としての友好関係であったかといえば、明確にはそうではなかったのではないか。現に十代目を継承した木下政秀組長は、神戸山口組との親睦を深めてはいない。かといって今のところ六代目山口組の後見を受けているという話しもないので、昔に比べると組織的に小規模な勢力となったが、あくまで名門博徒組織として一本独歩でやるのではないか」(業界関係者)

 そうした中で、酒梅組は4月26日に木下組長をトップとした盃ごとを挙行したのである。木下組長とかつて獄中で一緒になったという人物は、その人物像についてこのように話す。

 「今から20年前のこと。すでに木下組長は組名乗りをしており、酒梅組の直参だったと記憶している。その際の務めの理由も、博打打ちらしく賭博開帳図利だった。ほんの少しの期間だったが、同じ舎房で木下組長と一緒になったのだが、若くして自身の組織を率いているだけに、物静かに務めながらもその存在感は大きく、やはり他から一目置かれていた」

 親分とのちに呼ばれる人物らは、若い時の務め(懲役)でも他とは異なる務め方をしていたといわれることが多い。木下組長もそんな雰囲気を持ち合わせていたようだ。その木下組長をトップとした酒梅組が新たなスタートを切ったのだ。

 一方で関東の巨大組織、住吉会でも新たな体制が発足されたという。これまで住吉会の会長を務めていた関功会長が代表となり、新会長には小川修司・共和一家七代目総長が就任したのだ。そして住吉会の中でも、別格視されていた幸平一家十三代目・加藤英幸総長が、序列でいうと会長職よりも上位となる代表代理のポストに就いたというのである。

「今回、住吉会で新設された代表や代表代理というポストは名誉職といっていいのではないでしょうか。過去にも住吉会には、会長を務めたのちに就く、総裁や特別顧問といった名誉職がありました。そして、幸平一家で最高幹部を務める加藤連合会・小坂聡会長が会長代行に就任したという話です。実力と経験を備えた人物を名誉職に置き、その力を借りつつ、新たなリーダーが組織を牽引する体制は、次代のヤクザ社会を見据えた新人事といえるのではないでしょうか」(ヤクザ事情に詳しいジャーナリスト)

 住吉会は今年2月に北九州市に本拠地を置く武闘派組織、道仁会と五分の兄弟会の関係を結んでおり、それを要望したのが加藤総長だったことは業界関係者に配布された挨拶状にも記されている。今後も両組織はその関係性を強化しつつ、業界内でこれまで以上の確固たる地位を築いていくのではないだろうか。
(文=山口組問題特別取材班)

山口組問題特別取材班

山口組問題特別取材班

ヤクザ業界をフィールドとする作家、ライターおよび編集者による取材チーム。2015年の山口組分裂騒動以降、同問題の長期的に取材してきた。共著に『相剋 山口組分裂・激動の365日』(サイゾー)がある。

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