宇沢もまた、いま列挙した特徴を多かれ少なかれ共有している。特に宇沢の反経済学の立場を特徴づけるのが、経済成長至上主義(=効率化第一)の弊害の指摘だった。「高度成長の欠陥をひと言にしていえば、経済活動と環境との相克を狭義の経済的規範によって処理し、環境のはたす文化的、社会的な機能」について無配慮である、というのが宇沢思想の核心である。
●経済学者たちへの失望と反感
経済成長=効率第一主義の一例は、60~70年代であれば公害や自動車事故の激増などに代表されていた。またこの経済成長第一を支えるイデオロギーは、効率第一を唱えている新古典派経済学であった。公害や自動車事故の激増だけではなく、この効率性至上主義の弊害は、米国のベトナム戦争への姿勢に典型的に表れていた。
宇沢の反経済学的著作の代表作である『再検討』のハイライトは、「ヴェトナム戦争と近代経済学」の節にある。そこで宇沢は、反米+新古典派批判+効率第一主義批判を重ね合わせて議論を展開している。例えば米国の経済学者が、費用便益分析でベトナム戦の殺戮率を計算したことへの批判は、刺激的なうまくできた例示だった。宇沢の米国政府、そして協力していた経済学者たちへの失望と反感は、『再検討』の次の一文からもわかる。
「ベトナム戦争の経験は、一方では経済学者たちが持っていた社会的、歴史的な思想・論理体系が現実と大きく乖離し、妥当しないということを示した」
このような「現実」そのものが、新古典派経済学に適合していないので、新古典派を全面否定するというロジックは日本ではかなりのブームを引き起こす。例えば「現実」の市場は不均衡なので、均衡している市場を前提してそこから経済のいい悪いを判断する新古典派経済学は「現実」的ではない、とみなした。宇沢は不均衡動学という枠組みに、80年代終わりごろは特に大きな期待を抱いていた。ただし現時点でも不均衡動学は未完成であるか、または政策を議論するときに実り多い収穫を生み出していない。
宇沢は市民的権利を蹂躙するイデオロギー、あるいは金儲け主義の権化としても新古典派経済学を批判していく。このような倫理面での批判は、主にミルトン・フリードマンという個人に対して強く向けられていた。金儲けへの過度な傾倒、黒人差別、チリの独裁政権などへの支持を、宇沢はフリードマン批判、さらには市場主義への批判としても展開していった。これらのフリードマン批判の妥当性については、今日でも議論が続いている。